「あら、ちゃんどこか行くの?」

 洗濯物が入っているかごを両手に持ちながら、の母親である沙紀が尋ねる。
 はというと丁度靴を履いている所だった。床に置いてあった野球帽を拾いそれを被る。

    「うん、灯里の所に遊びに行ってこようかと思って」

 そう言うと嬉しそうににっこりと笑った。

    「じゃあ行ってきます!」

 言うと同時には勢い良く玄関を飛び出す。が、沙紀はにストップをかけた。

    「待ってちゃん!」

 いきなりの母親のストップに体がつんのめり、こけそうになるがなんとか踏みとどまる。

    「何?母さん」

 出鼻を挫かれたせいだろうか少し虫の居所が悪そうな顔をしているを見ながら沙紀苦笑いをして言った。

    「昨日クッキー焼いたでしょう?それ、灯里ちゃんにもっていったら?」
    「そっか!そうする!」

 打って変わり表情をパァっと輝かせて家の方へと戻ってくると急いで靴を脱ぎ捨て、台所に走り向かっていった。
 そんなに急がずともクッキーは逃げもしないのにと思わず沙紀は笑ってしまった。

    「そんなに灯里ちゃんに会いたいのね」
    「なんか言った?」

 呟くように言うと台所の方から帰ってきたが尋ねる。ふと手元を見るとそこには可愛い猫の絵がプリントしてある透明な袋、その中には昨日一緒に作ったクッキーが入っていた。
 見た目は完璧に男の子みたいだけれどもこういう所は女の子らしいなぁと沙紀は心の中で思う。

    「ううん、なんでもない」
    「そ?」

 沙紀が首を振るとはん〜?と首を傾げるが、すぐにまた靴を履いて外へと向かう。

    「じゃ、今度こそいってきまーーす!」
    「気をつけて行ってくるのよ」

 前を見ずこっちを振り向きながら手を振り走っていく様子を少し心配になりながら、子供のように無邪気な娘の姿を見送った。

    「さてと、パパッと干しちゃおうかしら」

 そう言ってくるっと向きを変えて庭へと向かう。今日もいい天気。このままならお昼くらいまでに洗濯物は乾きそうだった。

    「また迷子になるんじゃねーぞー」
    「うるせー、バカ兄貴!」

 後ろの方からそんな声が聞こえてくるのだった。



















 右手にクッキーの入った袋をしっかりと握り締めながらかけてゆく。会うのが楽しみで自然と口元が緩んでしまう。
 もしかしたら灯里の言っていたアリシアさんという人に会えるかも知れないと思うとはいっそう楽しみになった。
 水路沿いに走る。太陽の光を浴びて水面がきらきらと輝いていた。

    「ん?」

 はふと足を止めた。遠くから微かではあるが歌声が聞こえてくるのだ。目を瞑って耳を澄ましてみると背後の方の水路から聴こえてくるのが分かった。
 体の向きを変えてその歌声の出所であろうその人を探してみる。すると、アーチ状になっている橋の向こう側に船(ゴンドラ)を漕ぐ女性の姿を発見した。
 その姿は徐々にの方へと近づいてくる。泳ぐように、優雅に船は進んでいた。でもそれ以上に素晴らしいのは微かに聞こえるその女性の歌声だった。
 その澄んだ歌声は遠くからでも良く響いていた。周りを見ればのように酔いしれる者もいる。

    「素敵な声・・・」

 はもう一度目を瞑り、歌声だけに集中する。時が止まったように感じた。
 少しずつ少しずつ近づいてくる。そして、目の前に来たときは目をぱっと開いた。

     ―――――― ゾクッ ――――――

 全身に何かが広り、鳥肌が立つのが分かる。身体が無意識にその歌のすごさを感じていた。


 いつまでそうしていただろか、その女性の姿はもちろん歌声さえも聞こえなくなっていた。

    「なんだか天使の歌声みたいだったな・・・・。まあ、天使の歌声なんて聞いたこと無いけど」

 それでも女性の歌声こそ天使の歌声のようには思えた。美しく、澄んでいて、そして優しくて。すべてを包み込んでくれるようなそんな感じだった。
 は女性の顔を思い出す。その女性がとても愛しそうに歌っていたのを思い出すとなんだか心が暖かくなった。

    「っと、灯里の所に行くんだった」

 先ほどの出来事ですっかりと頭から抜け出ていたことを思い出しは再び走り出す。の止まっていた時は動き出したのだった。











    「ARIAカンパニー」

 看板に書いてある文字を口に出して読んでみる。

    「うむ。無事とうちゃーく。さてっと、こっちでいいんかな?」

 そろそろと建物に近づいていき、海側の方に回る。初めて訪れる所はなんだか緊張するものでもその例外ではなかった。
 カウンターから中が見えるところまでくると壁に背中をぴったりとくっ付けて中の様子を伺う。

    「(灯里いるといいんだけど・・・)」

 そう思っているとちょうど中から声が聞こえてくるのだった。

    「紅茶のおかわりいる?」
    「ん?ああ、もらおうか」
    「アテナちゃんは?」
    「じゃあ私も。ありがとうアリシアちゃん」

 その後カチャカチャとカップのあたる音がした。人はいる。しかし、その中にの聞き覚えのある灯里の声はなかった。
 会いに来た灯里はあいにく不在。このまま帰ろうかとも思っただったが取りあえずせっかく持ってきたクッキーだけは置いていくことに決めた。
 そーっと少しずつ顔をだして中を覗いてみる。そこには丸いテーブルに隣あわせに座ってる二人の女性がいた。
 一人は長い黒髪でキリッとした顔つきをしている。ほんの少しだけ怖そうな感じをうけた。
 灯里が着ていた服にそっくりな服を着ているということはその女性も水先案内人なのだろうとは思った。灯里は白地に青だったがその女性は白地に赤色のデザインがはいった服を着ていた。そしてハイヒール。絶対に自分は履かない部類だと思うだった。
 そしてもう一人。後ろを向いていて顔とかは分からないが、ショートヘアーで肌の色は褐色。これまた似た服でこちらはオレンジ色のデザインで靴はロングブーツだった。
 ふっとショートヘアーの人が外の方に顔を向ける。その女性の横顔をみた瞬間、は驚いて声あげた。

    「ああっ!!」

 はしまったと思いその場にしゃがみこみ姿を隠す反面、絶対にきずかれているだろうと思う。それでも隠れてしまうのは人の性分である。
 ショートヘアーの女性それはがもう一度会いたいと思っていたあの、天使の歌声の女性だった。

    「おい、そこで何してんだ?」

 案の定声をかけられる。声のした方に視線を向けるとカウンターにひじ時をつきながら黒髪の女性がをジトーっとみていた。

    「あ、あははは」

 笑ってごまかせるわけでもないが駄目もとで笑ってみるが顔が引きつる。別に何かをしようとしたわけではないがコソコソしていたのは事実で怪しいやつにかわりがなかった。

    「(向こうにしては怪しいにもほどがあるよな俺)」

 と苦笑いがもれるのだった。

    「誰だお前?客か?」
    「いや、客じゃないんです。灯里いますか?」
    「灯里ちゃんの友達か?」
    「はい、遊びに来ました」

 黒髪の女性はがそういうと一瞬きょとんとした顔になったがぷっと笑うとドアの方に指をさした。

    「あそこから中に入ってきな」

 何を笑われたのかは良く分からなかったが、素直に頷いて言われた通りドアの方へと向かった。

    「おじゃましまーす」

 おそるおそる中に入っていくとさっきの黒髪の女性が手招きをしている。

    「ほら、ここに座れ」

 と、に笑顔で椅子を出してくれた。は怖そうな人だけど誤解だったなと思う。気が利いて優しい人なんだと認識を改めた。
 そして遠慮なく出してもらった椅子に座らせてもらう。

    「いらっしゃい」

 後ろを振り向くと、三つ編で顔の両脇は髪をながしている優しそうな人が紅茶の入ったカップをの前に置いた。服を良く見ると灯里と一緒のものだった。

    「あっ、すみません。いただきます」
    「どうぞ召し上がれ」

 がお礼を言うとその女性はにこっと笑った。

    「はい、晃ちゃん。アテナちゃん」

 黒髪の人に、そしてショートヘアーの人に紅茶を配っていく。

    「(黒髪の人が晃さんで天使の歌声の人がアテナさん。でもって三つ編の人が灯里の先輩のアリシアさんか)」

 アリシアは紅茶を配り終わると席へとついた。は右手に持っていたクッキーを思いだしそれをテーブルの上に置く。

    「これよければ食べてください」
    「これお前が作ったのか?」
    「母さんが作っているとき一緒に。一人じゃさすがに作れないんで」
    「ふーん、じゃあもらうぞ」
    「私もいただくわね」
    「いただきます」

 そういって三人とも口へ運ぶ。はどきどきしながら三人の様子を見ていた。

    「へ〜、美味いじゃないか」
    「ほんとですか?」
    「ええ、おいしいわよ」
    「うん美味しい」

 三人ともが美味しいと言ってくれる。は嬉しそうにへへっと笑った。

    「なあ、もしかしてお前って名前じゃないか?」
    「はい、そうですけど・・・。なんで分かったんですか?」
    「あ、もしかして灯里ちゃんが言ってた」

 ああ、とは思う反面灯里はなんて話しているんだろうと少し心配になるがそこは気にしないようにした。

    「いつくるか楽しみにしてたわよ灯里ちゃん」
    「灯里は今日どこに?」
    「練習に行ってるの。もうすぐ帰ってくると思うんだけど」
    「灯里が帰ってくるまで待っててもいいですか?」
    「ええ、もちろんよ」
    「ふむ。じゃあ、あたしたちの名前教えとこう。あたしは姫屋の晃だ」
    「オレンジプラネットのアテナです」
    「ARIAカンパニーのアリシアよ。よろしくねくん」
    「はい、みなさんよろしくお願いします」

 はペコっと頭を下げた。そして灯里のときと同じように言う。

    「後、俺のことは呼び捨てでかまいませんから」

 アリシアは瞬間キョトンとしたがくすくすと笑いだす。恐らく灯里から聞いているんだろうなとは思った。しかし、笑っていたのはアリシアだけではなく晃も。アテナなんかは下に俯いて震えていた。
 はわけも分からず三人を順番にみていた。アリシア経由でのことは皆に知れていて三人はそれを思い出して笑っていたのだ。

    「ご、ごめんなさい。そのちょっとね」
    「・・・。いいです、なんとなくわかりますから」

 はぁっとは溜息をつく。
 アリシアはすまなそうにしながら目じりに溜まった涙を指で拭った。

    「そういえば、今日アテナさんと会うの二回目なんですよ?」

 がそういうとアテナは俯いていた顔をあげる。

    「なんだアテナもう顔見知りだったのか?」
    「え?ううんには今初めてあったけど・・・」
    「酷いなぁ、アテナさん。もう忘れちゃったの?運命的な出会いだったのに・・・」

 はそういうとしょんぼりと下を向く。アテナの方はわけも分からずアリシアと晃の顔をあたふたと交互に見ていた。晃とアリシアも当然わけが分かるはずもなく二人も首を傾げる。
 そんな様子を上目ずかいに見ていたはプッと噴出して笑い出した。

    「あははは、すいません。ちょっと意地悪しました。会ったっていうか一方的に見ただけです」
    「な、なんだ。びっくりした」
    「ここに来る途中に。アテナさん歌ってました」
    「へぇ。アテナの歌は絶品だっただろ?」
    「はい!そりゃあもう。すっごく綺麗な歌声だし、なんか暖かくて優しい感じだし、天使の歌声みたいで!実際には聞いたこと無いけれど。でもきっとそんな感じだと俺思うんです。俺アテナさんの歌大好きになっちゃいました」

 はあのときの感動を思い出しながら生き生きとした表情で語った。それはもう嬉しそうに。
 アリシアと晃は始めとても驚いた顔をしたがやがてを愛しそうにみつめる。アテナは耳まで真っ赤にしながらも嬉しそうに微笑かえした。

    「ありがとう。そう言って貰えると、とても嬉しい」
    「ほんとのことだし。ね?運命的な出会いでしょ?」
    「と、いうか。お前恥ずかしい台詞をよく言えるな。灯里ちゃん以上だぞ」
    「だって言葉にしなきゃ伝わらないですもん。これでもすっごく恥ずかしかったんですけど。でも灯里以上は腑に落ちないな〜」
    「いや、灯里ちゃん以上だ。アリシアお前もそう思うよな?」
    「ふふふ、そうね」
    「え〜、アリシアさんまで」

 はむ〜っと口を尖らせる。そんな様子を見た三人はくすくすとまた笑い出した。

    「恥ずかしいセリフ禁止!!」

 突如そんな声が部屋中に響く。声の出所は部屋の外からだった。
 驚いた四人は声のした外の方に顔を向ける。そこには三人の少女が立っていた。その中の一人、ピンがとてもよく似合っているショートヘアーの少女がを指でさしていた。
 指をさされているの方はあんぐりと口を開けている。

    「お、俺?」
    「そうあなたよ」
    「え?えっとー良くわかんないけど気おつけるよ」

 そう言うとその少女は納得したのか、うむという感じにこくんと頷いく。そんな様子には苦笑いを浮かべた。
 そういえばとはヘアピンの少女の傍らにいた人物の方に視線を向ける。が、そこにはもう誰もいなくなっていた。ヘアピンの少女に気を取られているうちにいなくなってしまったらしい。もう反対にいた少女もいなくなっていた。
 何処に行ったのかと顔を動かそうとしたときの首に誰かが抱きつく。驚いて振り向くとそこには嬉しそうに笑った灯里の顔があった。

    「わーい!だ〜。やっときてくれた」
    「久しぶり灯里!ごめん、遅くなって。アリア社長も久しぶり」

 膝に乗ってきたアリア社長を撫でるとぷいにゅと元気な返事が返ってくる。アリア社長もとの再会を喜んでくれている様子だった。

    「あなたがさんですか?」

 灯里のから少しはなれたろころに先ほどの少女とは違う子が立ってたちの方を見ていた。
 腰ぐらいにまで伸ばした髪を頭の両脇で少しだけ結んであるのが可愛らしい。
 その少女は少し警戒しているような表情をしていた。

    「そう、俺がだよ。君は?」
    「・・・アリスです」
    「そっか、よろしくアリス」

 が手を差し出すと戸惑いがちだがアリスも手を差し出しす。がにこっと笑うと少し安心したのかアリスの表情も少しだけ和らいだ。
 
    「そして私が藍華よ」

 いつの間にか先ほどのヘアピン娘がのそばまで来ていた。突然のことだったのではビクッと肩を上げたが、次にはにっと笑って先ほどアリスと握手をしていた手を差し出す。藍華はその手をがっちりと握り返した。

    「よろしく藍華。ん〜、なんかタイプが似てそうな感じ」
    「そう?ま、これからよろしく
    「いいな〜。私も私も〜」
    「えっ?灯里この前したじゃんか」
    「二人が握手してるの見てたらなんか羨ましくなって。握手ってなんだか相手の気持ちが伝わってきて 暖かくなるって言うか」
    「恥ずかしいセリフ禁止!!」
    「ええ〜」

 あははとは笑い出す。だけではないここにいる全員が笑っていた。

    「なるほどね。そういう時に使うのか。っと、ほら灯里握手」
    「えへへ、もう一度。これからよろしくね
    「ん、よろしく灯里。やっぱり灯里ってほんわかしてんね。なんか春みたい」
    「恥ずかしいセリフ禁止!!」

 うっと気まずそうには藍華のほうをチラッと見ると眉間にしわを寄せている顔が目に映る。がぽりぽりと頭を掻くとまた全員から笑いが漏れたのだった。

 その後、ARIAカンパニーに皆の楽しそうな笑い声と藍華の「恥ずかしいセリフ禁止!!」の声が繰り広げられていたと言う。