「行ってきます!」
そう言って勢いよく玄関を出る。少しでも早く、いま自分がいる街を知りたかったから。それにやることはちゃんとやったし。
「ちゃん!ちょっと待って。これもっていきなさい」
と手の平ぐらいの紙を渡される。
「これなに?」
「家の住所が書いてあるから、もしもの時のためにもって行きなさい」
「ガキじゃないんだから大丈夫だよ」
「いいから。それと帽子」
帽子を無理やりに被らされる。しぶしぶポケットに手渡された紙を突っ込んだ。
「じゃあ今度こそ行ってきます」
そして気を取り直して街へと繰り出すのだった。
「暑い、お腹減った。喉も渇いた」
さっきからそう呟きながらずっと彷徨っていた。辺りを見回して溜め息をつく。
「ここどこだろ?方向音痴ってわけでもないんだけど迷っちゃったよ。しかもこう言う時に限って人がいないし・・・」
はぁ、とまた溜め息が出る。母さんの思惑どうりさっそくもしもの時になってしまった。なんともやるせない気持ちになる。
とにかくこの照りつけるような日差しだけでも何とかしようと日陰がないか探す。すると少し歩いた所に木陰があるのを発見した。
ベンチはなかったものの、特にきれい好きでもないし地べたに座る。むしろベンチが無くて良かったかもしれない。お尻の下のコンクリートはひんやりとしていて気持ちが良かった。
目の前は水路になっていた。水路の方に足を伸ばし放り投だす。水に足を浸けたらさぞ気持ちいいだろうなぁと思ったが、残念ながら水面には足が届きそうにも無かった。
「しっかしすごいよな、水路ばっかだもん」
歩いてきた道を思い出してみる。道は入り組んでいて迷路みたいになっていた。初めはそれが楽しくて、まさか帰れなくなるとは思いもよらずどんどん進んでいった。進んでいくと水路で行き止まる。また違う道を行って進むと水路で行き止まる。それの繰り返しをしていたら帰り道がわからなくなっていた。
初めてこの街を空から見た時、心の底から美しいと思った。水と一体化している様で、太陽の日の光を浴びてこれでもかという位にキラキラと輝いていた。まるで街その物が生きているのではないかと思うほどに。
しかし今、その街に食べられてしまったかのように迷っている自分がいる。
「調子こいて探検でもしてみるかとか思ったのがまずかったかな・・・」
と苦笑いをうかべるしかなかった。
この街に着いたのは今日。急に引越しが決まり・・・というか決まっていたらしく、きずいたら到着しましたみたいな感じだった。どこでどんな感じの所なのかも分からないまま引っ越して来て、もう不安やら心配やらで落ち着かなかった。
準備や友達に別れをしにいったりもそこそこな状態。メールがあるからいいけれどもう少し早めに言って欲しかったと腹が立つ。
引越しをする話を聞いたのはなんと引越しをする二日前だった。
「ちゃん、準備の方は進んでる?」
そう言われたのは、晩御飯のデザートにビターチョコアイスをスプーンで突っつきながら食べているときだった。何の話かさっぱり分からず首をかしげる。
「準備って何のこと?」
そう聞くと母さんでは無く兄貴達が驚いていた。
「おいおい嘘だろ!?、お前聞いてないのか?」
「いったい何の話なの?」
一体なんなんだ。ここ最近のことを思い出してみるが思い当たることがまったく無い。眉間にしわを寄せて考えていると母さんが言った。
「あら、やだ。母さんうっかりしてた。ちゃんにはまだ話して無かったわ」
うふふと笑いながら言う。母さん笑っている場合じゃないよと汗が流れる。
「それで何の準備?旅行にでも行くの?」
そう言いながら程よい柔らかさになったアイスを口に含む。うん、やっぱりアイスはビターチョコに限ると思いながらもう一口。
「違うのよ。あのね引越しをしようと思って」
ふーん。引越しね引越し・・・・ん?引越し!?
食べようとしていたアイスが床に落ちる。驚きのあまり口をパクパクさせているとさらに母さんは言ってきた。
「あっ、そうそう出発は明後日だから」
思い出したわとでもいうように手をポンと叩きながら軽く言ってくれる。
「はあぁぁいぃ!??引越し!?何で引越し?しかも明後日かい!おそっ!言うのおそっ!!」
どこから驚けばいいのか。パニック状態になっているのを余所に
「大丈夫よ、必要なものは大体送ってあるから」
などといってくれる。いや、そこ問題じゃないだろといってやりたいが無駄だ。この人はまたもやってくれたよと涙が出てくる。良くあるのだこういう事が。こうやってかってに一人で決めて物事をどんどん進めていくところが。素でやっているからたち悪い。
そうこうしている内にあれよあれよと事は進み今に至っているわけだ。
「そして、迷子」
なんとも哀れな話だと自分で笑ってしまう。
しかし困った、本気で帰れない。道を聞くにも人っ子一人いやしない。時計を持ってないから分からないけれど恐らくお昼なんだろうと思う。ぐぅとお腹が空しくなった。
しょうがないとそこに仰向けに寝転がる。無闇に歩き回ってもまた迷うだけだし、取りあえず誰かが来るまで寝ることにしよう。
木の葉の間から青空と眩しい太陽の光がちらちらと目に映る。目を瞑って水の流れる音や、時々吹いてくる風に揺らされる葉の音を楽しんだ。
こんなに穏やかな時間を楽しむのは初めてだ。初めてだらけの体験になんだか急に嬉しくなってきて、気持ちが高鳴る。自分の心音が大きく、そして早くなるのがわかった。
そうやって穏やかな時間を楽しんでいると、遠くでぽてぽてという音がした。何の音だろうとそれに集中する。どうやら段々と近づいてきている様子だ。音の正体を見ようと目を開けた時――――
「ぷいにゅ〜」
という声とともに顔に何かがボムっといい音をさせ顔に落ちてきた。
「!!むーー、ぷはぁ。な、何だ!?」
顔にのしかかっているのを持ち上げて見る。そこには青い瞳をした白い毛の―――
「い、犬?いや、猫か?それとも何か?」
今の自分の知識では判別しがたい正体不明の生き物がいた。それは可愛らしくお洒落をしていて、首にリボン、と帽子を被っていた。
「ぷい、ぷい。ぷいにゅぷい」
何かを言いながらご丁寧にジェスチャーまでしてくれている。もしやさっきの問いに答えてくれようとしているのだろうか?が、
「さっぱり分かりません」
白いのには悪いけど全然わからなかった。唯一わかったのは一生懸命だったってことだけで。そう言うとその白いのはしくしくと泣き出してしまった。
「ご、ごめん」
とりあえず謝りながら起き上がる。そして抱きなおして撫でてやった。・・・なんだかずいぶんとお腹のさわり心地がよろしくて、ついつい癖になりそうである。
これ家につれて帰ったらだめかな、と考えていると後ろの方から女の人の声が聞こえてきた。
「アリア社長〜。どこですか?」
後ろを振り向いてみると顔の両脇だけ伸ばした髪をとめた女の子がこっちの方にやってくる。服はなんだかどこかの制服みたいなのを着ていて、白地に青色でマークらしきものが描いてあった。
よくみると、この白いのがしているリボンと帽子に似ている。
白いのが振り返ってその女の子をみると、腕を飛び出してその人の方に走って行ってしまった。
女の子は白いのを抱き上げるとこっちに歩いてきた。
「すみません。アリア社長がお世話になったみたいで」
と言って深々と頭を下げてくる。すごく礼儀正しいというか律儀な人だなぁと思いつつ、疑問に思ったことを聞いてみる。
「いや、特に何もしてないし。お腹を触らしてもらったくらい?つかさ、その白いのって何?あとさ社長って名前?」
確かこの人アリア社長って呼んでたよな。スゲー名前だと思うんだけどこの人がつけたのだろうか・・・
「もしかして火星(アクア)に来たの初めてですか?」
しかし返ってきたのは質問の答えではなく、質問だった。
「うん、そうだけど?」
「じゃあ、地球(マンホーム)からいらっしゃったんですね」
と目を輝かせて何故か嬉しそうに聞いてくる。何でわかったんだ?そんなに田舎・・・じゃないか、地球まるだしなのか?
「そ、そうだけど。なんでそんな嬉しそうなの?」
「実は、私もマンホーム出身なんです」
なんとこの人も地球出身らしい。それを聞いて自分もなんだか嬉しくなってくる。地球から遠くはるばる来たこの街で早くも同士を見つけるとは。
「そうなんだ。なんか親近感わくな〜」
「私もです。そうだ、よろしければお名前をお聞きしてもいいですか?」
「もちろん! って言うんだ。よろしく」
「私は水無 灯里(みずなし あかり)です。宜しくお願いしますさん」
「ん〜、でいいよ。さん付けってなんか落ち着かないし。それに年、同じくらいっしょ?こっちも灯里ってかってに呼ぶし」
そういって手を差し出すと灯里は、はひとにっこり笑って握り返してくれた。握手をした後、何故か二人でクスクス笑ってしまった。
そのときふっとある事を思い出す。それは・・・
「あのさ灯里、いきなりお願いがあるんだけどー・・・無理だったらいいんだ」
「はい、なんですか?」
いざ言うとなると言うのがすっごく恥ずかしくてなかなか言いだせない。しかし、いずれかは誰かに言わないといけないのだし、どうせならば知り合いの方がいい。ついさっきなったばかりだけれど・・・
「実はさ、そのー、ね、迷子なんだよね。それでもし良かったらここに連れて行ってもらいたいなぁなんて」
そういいながらぐしゃぐしゃになった住所が書いてある紙をポケットから取りだして灯里に見せる。家を出るとき、母さんが持たせてくれた物だ。渡されたときは子ども扱いしやがってと思ったけど今は感謝でいっぱいになる。
「あ、この住所」
紙に書いてある住所を見てなぜか驚く灯里。何か問題でもあったのだろうか。まさかこんな住所ないとか。
「え、何かあるの?」
「はい。ここウチの近くなんです」
なんと、偶然にも家の近くだったらしい。母さんが書いて寄こした物だからドキドキしたけど大丈夫だったらしい。
「へ〜。なんかつくずく縁があるね」
「はい、本当に。とっても素敵な縁です」
そんなことをニコニコと平気な顔で言った。そう言ってもらえると嬉しいけれど、何というか面と向かって言われると恥ずかしいというか照れる。
「う、ん。そうだね」
と言うのが精いっぱいだった。こんな恥ずかしい台詞をサラッと言えるなんて灯里ってすごい奴だと思う。
それから二人と一匹で色々な話をしながら送ってもらった。話といっても灯里にこっちのことを色々教えてもらうという一方的なものだったけれど。
「ねえねえ、んでさっきの質問なんだけど、この白いのって何の生き物?」
「へ?アリア社長ですか?猫ですけど・・・」
「うえぇ!?猫なの!!?」
どうやら白いのは猫だったようで。えらく地球の猫とは違うんだなぁとビックリした。あと水先案内店では青い瞳の猫を社長にするらしい。だから社長って呼んでいたんだ。
そんでもって灯里はアリア社長がいるアリアカンパニーに所属してるんだって。灯里みたいな人たちを水先案内人(ウンディーネ)って言うんだそうだ。
その他にもいっぱい教えてもらった。
灯里の友達や先輩のこと。地球には無い職業や行事。お気に入りの場所とかも。知らない事だらけでそりゃもう驚いた。
こっちにきてからは驚くことばかりだと灯里に言ったらにっこり笑って、素敵な発見ってなんだか心をあったかくしてくれますよねなんてまた恥ずかしいことをいわれた。
「今日はありがとう。いっぱい色々なこと教えてくれて。それに送ってもらちゃったし・・・」
「そんな、私もさ・・・とお話できて楽しかったです」
灯里と話していたらあっという間に家についてしまった。楽しいと時間がたつのが早く感じられる。
どうやら灯里は人の名前を呼び捨てにするのは慣れていないらしい。それでも一生懸命にそうやって呼んでくれるのは嬉しかった。
なんだかとてもくすぐったくて、自然に笑顔が漏れてしまう。
「なんか灯里って一緒にいると落ち着くね」
「へ?そ、そうですか?」
「うん、そう」
「そんなこと言われたのは初めてです」
えへへ、と笑って照れている。うん、初めてのタイプだ。傍にいるとなぜだろう落ち着く。灯里の周りだけゆっくりと時が流れているみたいだ。
「また、会えるかな?」
「もちろんですよ!いつでも会社に遊びに来てください。アリシアさんにも会ってもらいたいですし、藍華ちゃん達にもと友達になって欲しいですから」
「そか、ありがと。必ずいくよ」
「ぷいぷいにゅ」
「アリア社長も待ってるそうです」
「あはは、ありがと。落ち着いたら必ずいくから」
そういって灯里達と別れた。会いに行くという約束を交わして。
なんだかんだで今日は迷子になって良かったかもしれない。いや、なってよかった。だってそうだ、そのおかげで会えたんだから。
ここにきて初めてできた友達。アリア社長と、
灯里という素敵な人に出会えたのだから・・・・
「お前迷子になったんだって?」
夕方、次男である海(かい)兄に言われた。
灯里と別れて遅い昼食とりながら皆に今日あったことを話す。
かなり心配をかけたらしく皆で近所を探してくれたらしい。母さんはそのおかげでお皿二枚とコップを一つ割ってしまったといってたけど、それっていつものことだと思うのは気のせいだろうか・・・
でも海兄はちょうど出かけてて知らないはず。こいつにだけは知られたくなくて皆にも口止めをしたはずなのに何故?
「なんで知ってんのさ」
「なんでってお前、有名人だぞ」
そういってニヤーっと笑う。なんだその顔、すんごいむかつく。
「迷子になった弟さんは見つかりましたか?って人に会うたび言われたぜ?もう恥ずかしいのなんのって」
そう言うわりには楽しそうに語る。
知らないところで有名人になっているとは、しかも迷子という名目で。恥ずかしくて暫く外に出られない。
「てか、弟ってなんだよ!?俺は女だつーの!!」
「何言ってんだよ、お前は立派な男だろ?女の子は自分のこと俺とは言わん。それに・・・」
「それになんだよ?」
「胸ないしな」
「っっっキー!!ムカつく、関係ないじゃん!それに少しくらいはあるはボケ!!」
そこから兄妹喧嘩が始まった。喧嘩というか一方的に俺がからかわれているだけだけど。皆はそれを楽しそうに見ているだけだった。
でもそうやって人をからかう奴にはちゃんと罰があるもので、母さんが割ったコップというのは海兄が大事にしていたコップであったのだった。
