「あ〜あ・・・。あ!!」



前者は、やっぱり落ちたかの意味。

後者は、


  「そこの人危ない!!」


の意味。

急降下していくその先に、運悪く人が歩いていた。

元はただの紙だから怪我をするということは無いけれど、やっぱり当たったら痛い。

不幸中の幸いと言うかその歩いていた人には当たらずに、紙飛行機は地面へと落ちたのだった。

ほっと一息ついていると、下を歩いていた人がこちらを見上げているのに気が付く。

そしてその人物に正直驚きを隠せなかった。本当に当たらなくてよかったと心底思う。なんたってその人物は、



  「え、江利子さん・・・」



じっと見上げるその視線は、私にはひどく痛く感じられた。

もしかしなくてもすごく怒ってたりするかな。顔には出てないけれど。

とにかく許してもらえるかは分からなかったが、私は急いで江利子さんのもとへと向かった。

もちろんプリーツを乱し、セーラーカラーも翻しながら。



もしかしたら着いた時にはもういないかななんて思ったのだけれど、江利子さんは律儀にも待っていてくれていた。

どうやら謝らせてくれるチャンスはくれたらしい。許してくれるかは別としてだけれど。

悲しい事に思った以上に体力が無かったらしく、息が絶え絶えになっている。心なしかわき腹も痛くなってきた。

そんなみっともない姿を江利子さんは淡々と見守ってくれていた。

ようやく落ち着きを取り戻したのだったが、これまた気まずい雰囲気である。

取りあえず謝る事にしようと意を決した。



  「あ、あの、そのー・・・すみませんでした」



私は深々と頭を下げる。何を言われるかもうどきどきだ。

何を言われても言いように構えていると、以外にも聞こえてきたのはくすくすという笑い声だった。

驚いて顔を上げると、目の前には手を口に当てて笑っている江利子さんの姿があった。

私は呆然としてしまう。

そりゃあ江利子さんだって人間だ、笑いもする。そう頭では思っていても、今までそんな姿見た事が無いから仕方が無い。

見た事があるのは微笑むくらいなものだ。こんなに可笑しそうに笑っているのは見た事も聞いたことも無い。

きっと私は間抜けな顔をしているだろう。ぽかんと口を開けたそんな顔。



ひとしきり笑った江利子さんはなんだか満足したような表情をしていた。

これもまた初である。



  「まさかこんな事するとは思ってもみなかったわ。さん、なかなか面白いことを考えるのね」

  「そ、そうかな?」

  「ええ。実に面白いわ。ここリリアンでは特に。さらに意外性も手伝ってね」

  「意外性?」

  「そう。どちらかと言うと真面目な性質の人だと思っていたから」



私は瞬きを繰り返す。まさか江利子さんにそのような人物だと思われてるだなんて、これっぽっちも考えたことはない。

真面目だなんて、そんな事ありえない。だって、現にこういう事をしているのだ。



  「違ったみたいね。もちろん良い意味でよ」



私の思いを次ぐように江利子さんは言った。というか、良い意味でってどういうことだ。

江利子さんの思考に付いていけず、私は首を捻るばかりだ。

しかし、目の前の江利子さんは滅多に見れないほどの笑顔だ。楽しんでいてくれているなら・・・まあ、いい、のか?



  「それよりさ、怒ってないの?」

  「なぜ?」

  「なぜって言われると困るんだけれど・・・。紙飛行機が当たりそうになったからかな?」



かなって江利子さんに聞いても仕方が無いだろうと自分に突っ込んでしまう。

仕方が無い。江利子さん、本当に不思議そうな顔をしているんだから。あってるのか不安になってくるってもんだ。



  「でも当たってはいないじゃない」

  「まあ、確かにそうなんだけれどさ。こう、驚いたとか色々あるでしょ」

  「確かに驚いたわね」

  「でしょ?だからごめんね」

  「驚いたのは別の意味でだけど。面白かったから別に謝る必要はないわ」



思い出しているのか江利子さんはまたふふっと笑っている。よく分からないけれど、面白かったらしい。

ご機嫌な様子を見て、気にする事を私はやめた。

それより、紙飛行機を回収しようではないか。このまま外に放置しておくわけにもいかない。

万が一教師やシスターたちに見つかったら大騒ぎになるだろうし。

私は辺りを見回して髪飛行機を探す。が、どこにも見当たらなかった。

おかしい。確かにここら当たりに落ちたはずだ。なのに何故見つからないのだろう。



  「もしかしてこれを探しているの?」

  「え?」



そう言って江利子さんが私に見せたのは一枚の皺だらけの紙。私の進路調査票だった。

紙飛行機ではない。無数の折線が入っている紙へと姿を変えていた。



  「ごめんなさい。つい気になったものだから・・・」

  「折り方?」

  「いえ、そうじゃないわ」

  「違うの?」

  「ええ」



それから江利子さんはもう一度すまなそうにごめんなさいと言った。

そんなに謝らなくてもいいのに。たかが紙飛行機で。・・・本当は調査票だけれど。



  「それは別にいいとして、何が気になったの?」

  「ここに書かれてること」

  「書かれてるって・・・江利子さんも同じのもらったんじゃ」

  「そうじゃなくて、あなたの進路が気になったのよ」

  「私の進路?」

  「そう。あなたの進路。残念な事に書いてなかったけれど」


私はその言葉に苦笑いをするしかなかった。

まだ決まってないんだ。そう言うと江利子さんは何かを考え始める。

おもむろに江利子さんは自分の鞄を開けて中をごそごそと漁りだすと、中からボールペンをとりだしてなにやらそこに書き出し始めた。

私がその様子を黙ってみていると満足したようで、にっこり笑って何かを書き終わった進路調査票を差し出してくる。



  「返事はいつでもいいわ。いい返事を期待して待ってる」



そういい残すと背を向けて歩いて行ってしまった。

何も言い出せず、というか言う隙を与えないままその姿を私は見送る。

気が付いたときには江利子さんの姿は見えなくなっていた。

江利子ワールドと呼ぶべきか。終始江利子さんのペースに巻き込まれていたな。

そう思いながら手渡された進路調査票に目を通す。一体何を書いたのだろう。

目に入ったのは一瞬だったけれど、そこに書かれたことを理解するのには時間がかかった。

そして理解すると共に私は目を見開いてしまう。間違いではないだろうかと私はもう一度読んでみる。

当たり前だが、何回読んでも書かれていることは同じだった。

顔が熱い。多分耳まで真っ赤だ。

やられた。

私は江利子さんが行ったであろう方向を見やった。

江利子さんが捨て台詞のように残していった言葉が耳に残っている。

きっと江利子さんは心底楽しくて仕方が無かっただろう。後姿で見えなかったその表情を考えると悔しくもあり、嬉しくもあり、照れくさくもある。

先生の所にまた調査票を貰いに行かなければならない。それもこの顔から熱が引くまで待たなければいけないが。

もう一度書かれた文字を見つめる。

答えはそうだな、少しくらい待たせてもいいだろう。




近々決まる私の進路それは―――


“鳥居江利子の恋人”  だった。