「うわー。すごいな、ほんとによく飛んでる」
昨日のテレビで見たようには無いけれど、今まで折ったことのあるものとは格段に違う。
あの時も感動したけれど自分で作ったものはまた喜びも一入だ。
徐々に高度を落としていきながらも飛んでいくそれを眺め、飛んでいったほうを確認すると私は外へと向かう。
飛ばしっぱなしというわけにはいかない。
そう思いながら階段を下りていく私はにやけた顔をしていただろう。それはそうだ、あれだけ飛べば気持ちがいい。
靴を履き替えて外にでると、目の前に続く真っ直ぐ伸びた道を進んでいった。
飛ばした場所からはそう遠くには行ってないはずだ。大体の予測をつけてその場所辺りへ向かっていった。
するとそこには私よりも先に誰かがいた。
その後姿には物凄く見覚えがある。なんたってさきほどまで一緒に居たのだから。
その人物の名前を呼ぼうとしたとき、私の身体に衝撃が走る。
最悪の状況だった。先ほどまでの浮かれた気分など何処かに吹っ飛ぶ。
その人物の背中越しに見える手に持たれている物。それは私が作った紙飛行機。
紙飛行機の元となるものは進路調査票で、それを配り回収する人はその人物。明日が提出日だとしつこく言われた。
冷や汗が背中を伝う。本能が危険だと警告をしていた。
いつもはにっこり笑って優しいんだけれど、怒るとすっごく怖いんだよね。
何度と訪れたそのときを思い出すと顔が引き攣る。二度とごめんだ。そう思っていたのに今その状況に陥っているという。
私は少し前の自分を張った押してやりたい気分になる。
まだその人物は私には気が付いていない。この機会を逃さずにはいられないわけだ。私はそっと後ろに下がって、元来た道を引き返そうとした。
ぱきっ。
そう確かに音がする。静寂な空間にその音は大きく響いた。
単に私の感覚が研ぎ澄まされていただけかもしれないが。肉食動物から逃げようとする草食動物のように。
音の原因は私の足元で、私の重みで折れた銀杏の枝だった。
私はゆっくりと顔を上げてその人物を見る。その時、ああ、マリア様なんていないなと私は思った。
「あら、ごきげんようさん」
「ご、ごきげんよう」
これ以上ないんではないかというくらいに蓉子さんは微笑んでいる。逆にそれが怖い。
私はあまりの恐怖に声が裏返ってしまった。
逃げ出したいと言う気持ちを必死に抑えながら、私は出来るだけ笑顔を作る。自分でもわかるほどに引き攣ってはいたが。
そんな私の心情を知ってか知らずか、蓉子さんは少しずつ、でも着実に歩み寄ってくる。
近づかれる度に私の心臓は鼓動を早める。今は休みなしで引っ切り無しに動いていた。
「こんな所でどうしたの?」
そんな何気無い蓉子さんの一言一言が気になってしょうがない。
大丈夫だ。そう自分に言い聞かせて何とか私はもっていた。ある1つの望みにかけて。
「えっとね・・・特に用って事はないんだけれど、散歩してたら蓉子さんが見えたから声をかけようかな〜って」
「そうなの」
「う、うん」
あははっと空笑いをする私に、相変わらずの笑顔で蓉子さんは微笑んでいた。
「そうなんだよね、たまたま偶然にね。蓉子さんはどうしてここに?」
苦しまぎれの言い訳。というか、嘘なのだけれどこうなったら偶然を装うしかない。偶然にしてはあまりにもおかしいシチュエーションだけれど。
「私も偶然って事になるのかしらね。歩いてたらたまたま目に付いたものだから」
「そうなんだ」
「なんだと思う?」
「うーん・・・なんだろう?全然思いつかないなぁ」
「ここにね、紙飛行機が落ちていたのよ」
紙飛行機と首を傾げる。自分でも白々しいと思っている。けれど蓉子さんのお説教を受けるのにはかえられない。
そう、紙飛行機と蓉子さんは頷き返した。そして意外な事に、よく出来ていたとお褒めの言葉まで言っている。
私は意外な展開に、しばし蓉子さんを見つめてしまう。蓉子さんはそんな私を不思議そうに見つめ返していた。
「そんなによく出来てた?」
「ええ。だからどうやって折ったのかと思って開いてみたんだけれど、元に戻せなくなって・・・」
困ったわと蓉子さんはくしゃくしゃの進路調査票を目の前に出した。
何と言ったらいいのか。てっきり、誰がこんな事したのかしらとか、こんな事するなんて信じられないわとか言ったりするのだとばかり思っていた。
「・・・大丈夫。私が折り方知ってるから」
「あら、本当?」
「うん」
「良かったわ。それじゃあお願いできるかしら?」
「任せて」
目の前で溜息なんか付かれてしまっては元通りにしてあげない訳にはいかない。
私はくしゃくしゃの紙を受け取ると先ほどと同じように折って―――
「・・・」
ごくりと生唾を飲み込む。かっと身体が熱くなるが、芯では何か冷たいものが奔っていた。
私はその部分から目線をはずして、用紙越しに蓉子さんをそっと見る。
先ほどまでの困った表情はどこに行ったのだろう。そう思うくらいに満面の笑みで私を見ていた。
がらがらと崩れる音がした。言うまでも無い。ある1つの望みが、だ。
「何か言いたい事あるかしら」
「・・・本当にすみませんでした」
「悪いという自覚はあるのね?」
「はい」
蓉子さんは私よりも何枚上手なのだ、騙しきれる筈が無い。最初に気が付くべきだった。
そのことにもそして・・・
「ならこれはさんのだってこと認めるのね?」
「・・・はい」
名前がしっかりと書いてあったことにも。しかも蓉子さんに書かされていたのに。
なぜこういうときに人間というものは全く違う事を考えるのだろう。私はある物語の一部分を思い出していた。
あなたが落とした斧は金の斧ですか?それともこっちの銀の斧ですか?
そして私は答える。両方私のです。
でもって嘘をついた私はばつを受けることになる。
何を言われるのかと怯えている私の前で蓉子さんは盛大な溜息をついた。
「ほんとに・・・。世話が焼ける人ね」
「おっしゃるとおりで」
「反省してるの?」
「ものすごく。地面に頭が埋るくらいに土下座する気持ちで」
「・・・そう。その喩えはどうかと思うけれど。しかたないわね」
言うないなや蓉子さんは校舎へと歩き出した。私は突然の行動についていけず、ぼけっとその後姿を眺めてしまう。
私が付いて来ていないのに気が付いたのか蓉子さんは振り返り、もう一度傍まで来ると私の手を取り歩き出した。
「よ、蓉子さん?」
「提出は明日。今日中に何とかしなきゃならないでしょ。私も手伝うから終わらせてしまいましょ」
「蓉子さん・・・。ありがとう」
「どういたしまして」
私は繋がれている手に少しだけ力を加えた。
なんだかとても嬉しくって、くすぐったくて、そして切なかった。不意にこみ上げた感情。それはきゅっと胸を締め付けて、少しだけ私を苦しくする。
蓉子さんは何かを感じ取ったのかすぐに立ち止まると振り返った。
「どうしたの?」
「ううん。なんでもないよ」
「残念だけれど、何でもなさそうな顔してないわよ」
そう言われてしまっては何も言えなくなってしまう。何でも見透かしてしまいそうな蓉子さんの視線から目をはずして、何もないコンクリートで舗装された道を眺めた。
「話してはもらえないの?」
「そう、じゃなくて・・・。いや、そうなのかなぁ。なんか、照れくさいというか何と言うか」
「照れくさい?」
「なんかこう、急にね寂しくなったのかな。蓉子さんにこうして貰えるのも少しになってきたなーって。
いつも蓉子さんに面倒見てもらってたから、いつの間にかそれが当たり前になってたんだね」
「さん・・・」
「だからこれからも一緒に居られるんだと思ってたんだけれど、違うんだよね。そう思ったらさ」
そんな事言われても困るよね。そう呟くと手を繋いでいない方の手が私の頬をそっと包んだ。
驚いて私は顔を上げる。蓉子さんは微笑していて、あまりの綺麗さに私は見惚れてしまった。
「私はこれからもずっと一緒に居るつもりだったのだけれど」
「・・・え?」
「好きでもなかったらこんなに気にならないわよ。それともそんなに私が誰にでも世話を焼いているように見える?」
「えっ!?あ、そ、それってどういう」
「さて、どういう意味かしらね。さっき嘘をついた罰。自分で考えて」
ふふふっと蓉子さんは楽しそうに笑ってまた歩き出す。私はそんな蓉子さんに引っ張られるように歩いていた。
とっても意地悪だなと思う反面、それを嬉しく思う自分がいた。
蓉子さんが言った言葉を頭の中で反芻する。
これからもずっと一緒だと。そして―――
きっと教室に着けばおのずと答えが分かるだろう。だから私はそれまでこの期待と不安を交互に味わうことにしよう。
