薔薇の館の階段を登っていると、上の部屋から楽しげな声が聞こえてくる。
一体何を話しているんだろうかと気になった。
ビスケット型の扉を開けると、私以外の全員が、もうそろっていた。
『ごきげんよう白薔薇さま』
「「ごきげんよう聖」」
「ごきげんよう。何の話をしてたの?」
「えっとですね、皆さん何色が好きかを話してました」
「何色が好きかねぇ」
「はい。白薔薇さまは何色がお好きなんですか?」
「私?そうだなー。何色が好きだと思う?」
祐巳ちゃんに逆に質問をしてみる。
すると予想どうりの反応が返ってきた。
祐巳ちゃんお得意の百面相。
本人は恐らく無意識でやっているのだろうけど、見ていると楽しい。
祐巳ちゃんには悪いのだけれど、つい笑ってしまった。
「白薔薇さま!笑うなんて酷いです」
「ごめん、ごめん」
祐巳ちゃんはそう言って抗議の声をあげた。
またその反応が可愛くて笑ってしまう。
私だけではなく、蓉子や江利子たちも上手く笑っている。
笑っているうちに私はふと気が付く。
いつからだろうかと。
いつから私は人前で、こんなに素直に笑えるようになったのだろう。
その思いと共に彼女の顔が浮かんだ。
その頃の私は誰もが嫌で、誰も受け付けつけなかった。
もともと、誰と仲良くということは無かったが、さらにそれが酷くなっていた。
別に理由なんてものは無い。
ただ、無理に笑って、気を使いながら話をするだなんて考えられなかっただけだ。
そして、彼女たちは何故疲れないのだろうかといつも思っていた。
私にはとても出来ない。
毎日同じ挨拶をして、同じような事を話して、願い事など叶いもしないのにマリア像に毎日お祈りをして。
ここはとても窮屈な場所だと、そういつも思っていた。
「聖。今日はちゃんと薔薇の館に来て」
帰ろうと仕度をしているときにその人物はやってきた。
またおせっかいをしにきたのだろう。
私はそれを望んでいるわけではないと言うのに、本当にいつもいつも飽きもしないで良く来る。
私は溜息を付いてから、その人物に目もくれないで言った。
「行かない」
「いい加減にしなさいよ。あなたのお姉さまだって困るでしょう?」
「そんなの知らない」
「聖!」
「あ〜、もう、うるさいな!ほっといてよ」
私1人いなくたってたいした事にはならない。
なのに蓉子はどうしてこうもしつこいのだろう。
すごく苛々する。
私は威嚇するように蓉子をきっと睨み付ける。
そして私は呆然としてしまった。
隣に立っている蓉子は怒った顔をしているんだとばかり思っていたから。
けれど、実際は違っていた。
なんでそんな表情をしているのか、私には分からない。
なんでそんな悲しそうにしているのか。
「分かったわ。・・・いつかちゃんとでてくるのよ」
そう言い残すと、蓉子は私の教室を出て行った。
いつもはこんなのではない。
呆れるくらいしつこいと言うのに。
一瞬追いかけようかという思いがよぎる。
でも身体が動かなかった。
何故だろう、いつもはそんな事絶対思わないのに。
蓉子の後姿を見つめている自分は、少しだけ寂しいと思っていた。
「追いかけなくていいの?」
誰もいなくなっていた教室に誰かの声が響く。
私と蓉子のやり取りに気づいたクラスメイトたちは気を使ってくれたのか、早々と足早に教室を後にしていた。
だから誰もいないと思っていた私は、いきなり声をかけられて、びくりとしてしまった。
振り向くと、さんがくすくすと笑っている姿が目に入った。
私はそれを見て顔をしかめる。
それでも彼女は悪びれる様子も無く、私の隣にある自分の机に歩み寄ってきた。
「ごめんね。驚かせちゃったかな?」
「・・・別に」
私はばつが悪くて、彼女から顔を背ける。
代わりに蓉子が出て行った入り口の方を見た。
彼女は気にとめる様子も無く、ごそごそと机の中をあさっていた。
「あ、あったあった。宿題出てたんだよね〜」
そう言って彼女は、ノートか教科書を引っ張り出したようだ。
私は入り口の奥に見える廊下を見ていた。
別に興味をそそるものも無ければ、面白いものもない。
ただ動く気がしなかった。
「ねえ」
「・・・」
「ねえってば」
「・・・・・・」
うるさい。
悪いけれど話す気分ではない。
だからいくら話しかけられようとも、答える気が無かった。
彼女もあきらめたのか話しかけてこない。
そう思ったのと同時に、パシンという音と共に頭に衝撃が走った。
「いった!!」
「呼んでるのに返事しないからだよ。ねぇ、黄昏てんの?」
「別に黄昏てなんかない!それよりいきなり叩かないでよ!!聞いてたと思うけど、ほっといてくれないかな」
私はとげとげしく言った。
いきなり人の頭を叩く人なんて会った事が無い。
しかもこのリリアンでは見た事すら無い。
いったい彼女は何をしたいのだろうか?
とにかく今は1人にして欲しかった。
「・・・いつまで?」
「え?」
「いつまでほっとけばいいの?」
彼女はぽつりと呟く。
私は何の冗談を言っているのだろうかと眉をひそめる。
けれど彼女はいたって真剣だった。
いつまで。
そう彼女が言った言葉が、今ずしりと胸にくる。
そんなはずは無いのに、私はこの言葉を待っていたような気がした。
いつまでだろう、自分でも分からない。
「今の君は黒の絵の具だね」
「は?」
真剣な表情をしたかと思うと、彼女はいい悪戯を思いついたと言うかのようににっと笑う。
こんな人だったかなと思いながら、脈絡の無い話に間の抜けた声を出してしまった。
「だって君は誰も受け入れないじゃない」
その言葉に私は何も言えなくなる。
彼女は私の目を真っ直ぐに見て話し続けた。
「黒は何色にも染まらないでしょ。いくら黒の絵の具に他の色混ぜても、逆にその色をかき消しちゃう。最初から無かったように」
「・・・」
「君も同じ。誰も受け入れないで心を硬く閉ざしてる。君を思う人がいても、そんな人いもしなかったようにしてるでしょ。違うかな?」
「・・・あなたに関係ない」
「ふむ。なかなか強情だな。たださ、黒も最強って訳じゃないんだよね」
また話がおかしな方向に行っている。
いつから強いとか弱いとかの話になったのか。
そもそも話す気も無いのに、彼女のペースにずるずると引き込まれていることに今更だが気が付いた。
目の前にいる彼女は、なぜこんなにも楽しそうに話すんだろう。
「まあ、分量とかもあるんだけど。赤とかをさいくら混ぜてもほとんど変わらないけれど、白を混ぜると変わるでしょ。灰色にさ」
大発見だとでも言うように嬉しそうに笑っている。
当たり前の事だけれど、彼女が言うと不思議なことに大発見に思えてくる。
馬鹿らしいと思う反面、どこか納得してしまう自分がいた。
「だからさ、私が白色になってあげるよ」
「え?」
「白って柄じゃないけど。私が少しずつ君を灰色に変えてってあげるよ」
目をぱちくりさせていると、彼女は満足げに笑う。
そして何事も無かったように、驚く私を置いてさっさと帰ってしまった。
私はというと声を出すのも忘れて、彼女の背中を黙って見送ったのだった。
その日を境に、私は彼女の破天荒ぶりに巻き込まれていった。
どうやら元々こういう人物だったらしい。
私が興味を示していなくて、気づかなかっただけの事のようだ。
本当に少しずつだけれど話すようになって、笑うようになって、それを見た蓉子やお姉さまが驚いていたのを覚えている。
自分の事だったけれど他人事のように思えて笑えてしまった。
不器用で、前のようになる時が多々あったけれど、そんな時も彼女は笑って傍にいてくれた。
私はそうして、少しずつ灰色になっていった。
「・・・ぎ・・さ・・。白薔薇さま!!」
はっと意識を戻すとそこは薔薇の館だった。
祐巳ちゃんたちが心配そうな顔でこちらを見ている。
昔を思い出してそっちに気が行っていたらしい。
私は苦笑いをしてなんでもないよと言った。
「それで祐巳ちゃん答えは?」
「あっと・・・。やっぱり白ですかね。白薔薇さまですし」
「ふむ、なるほどね。でも残念はずれ」
「あら違うの?私はてっきり白かと思ったわ」
「蓉子も?」
「ええ。というより皆そう思ってたんじゃないかしら」
「そっか。ん〜、白もね好きと言えば好きなんだけど・・・なんていうかな、憧れの色なんだよね」
私がそう言うと皆、首を傾げる。
まあ、それは仕方が無い。
「どういう事よ」
珍しく江利子が興味を持ったらしい。
周りを見れば江利子だけでなく、皆が興味津々という顔で私を見ていた。
困ったなと私は頭を掻く。
理由は無いけれど、なんとなくこの事は秘密にしておきたかった。
でもそうもいかないようで、私は皆の期待に答えるべく話をすることにした。
「えっとね、って人がいるんだけれど・・・」
そう話し始めるとすぐに扉をノックする音がして、私は取りあえず話を中断した。
祐巳ちゃんは残念そうな表情になっている。
笑いを堪えながら私は扉を開けた。
「あ、聖じゃん。丁度良かった。英語とくいでしょ?私に教えて」
その人物を見て私は固まってしまう。
目の前にいる人はそんな事を気にも留めず、相変わらずにこにこと笑顔だった。
「えっと・・・御用はなんでしょうか?」
「今言ったじゃん」
「え?本気?」
「私のことバカにしてるの?」
「いや、そういうわけじゃないんだけれど・・・」
機嫌を損ねたのか、は少しふてくされいる。
一般生徒はなかなかこの薔薇の館に近づかないという中、は英語を教えて欲しいと来た。
別に悪くは無いし、むしろ個人としては頼ってきてくれたのはすごく嬉しい。
けれど、やっぱりすこーしだけ他の人とはずれているような気がした。
「聖、入ってもらったら?」
「う、うん。蓉子がそう言ってるけど、日向どうする?」
「ん?入っていいならおじゃまする」
は嬉しそうに中へ入る。
その時も挨拶はごきげんようではなくおじゃましますだった。
「あら、さんじゃない」
「さっきぶりだね江利子さん。そして久しぶり蓉子さん」
「ふふ、久しぶりさん」
「さっきぶりって・・・やっぱり面白いわね、さんって」
蓉子と江利子は楽しそうに笑っている。
そんな中、を初めて見る後輩組みは目をぱちくりさせていた。
私が意識してと話した時みたいだ。
「初めて入ったよここ。隠れ家みたいでいいね。気に入った」
「なんなら毎日一緒に来る?」
「来る・・・と言いたい所だけれど、仕事手伝わされそうだからやめとく」
「あら残念」
「蓉子さんが言ってたもん。聖と江利子さんは仕事を中々してくれないってね」
「・・・蓉子」
「あら、本当のことでしょ?」
「あの、お姉さま、そちらの方は?」
祥子が遠慮がちに尋ねる。
すると忘れてたと言うようには笑った。
「ごめんね。自己紹介するの忘れてたよ。三年の菅原です。よろしくね後輩ズ」
そう言ってはにっこりと笑う。
しかし、後輩ズと呼ばれた祥子たちはどう答えたらよいのか固まってしまったようだ。
何とか持ち直した祥子と令が「よろしくお願いします」というと、一年生たちも同じように続けた。
「あはは、後輩って可愛いね。あ、そういえばここに来たとき聖、私の名前言わなかった?」
「うん・・・言ったけど」
「何話してたの?」
「色の話をね」
「色?」
「聖は何色が好きなのかを話してたのよ。皆は白だろうって言ったんだけれど、違うんだって」
なかなか私が言い出さないのに痺れを切らしたのか、江利子が代わりにさっさと言ってしまう。
それを聞いたは意外だというような顔した。
「違うの!?私も白だと思ってた」
「え!?もそう思ってたの?」
「思ってたよ。だって白は聖のイメージカラーじゃん。白薔薇さまだし」
「え、だって私は灰色なんじゃ・・・」
の言葉に私は驚き、そしてもう忘れてしまったのかと悲しくなる。
もうはあのときの話を忘れてしまったのだろうか。
そう思ったけれどそれは私の思い違いだったらしく、は「ああ」と言うとけらけらと笑い出した。
「なんだ聖、自分はまだ灰色なんだと思ってたの?」
「そんな笑わなくても・・・」
「それは聖が蕾のときの話。今はもう立派な白薔薇さまじゃない。妹もいるし、それにもう聖に白を混ぜても変わらないもの」
はそう言うと微笑む。
嬉しいような恥ずかしいような、そんな気持ちになった。
「申し訳ないのだけれど、話が全く分からないわ」
「あはは、そりゃそうだよ江利子さん。私と聖しか知らないから」
「教えてもらえないの?」
「何、蓉子さん興味あるの?」
「ええ、あるわ」
「ん〜、どうする聖?教えてあげる?」
は首をかしげて私の方を見る。
どうしようかなと迷ったけれど、話してもいいかなと思った。
今のこの仲間達なら。
私が頷いてみせるとは満面の笑みをみせた。
と、その前にに言わなきゃならない事があるんだ。
私はこそっとに耳打ちした。
「前言撤回。やっぱり私、白が大好き。白はそのものだから」
私の好きな色はさっきまで灰色だったんだけれど、それはが私を灰色にすると言ったから。
でもそれ以上に今は白色が好きになった。
私の気持ち気づいてくれただろうか。
ただ単に白色が好きなのだと言ったわけではないこと。
見るとは耳まで真っ赤になっている。
良かった。
私の思いは通じたようだ。
白色が好きなのではなく、が好きなのだと。
私を白色にしてくれた。
私はが大好きだよ。

そうやって少しずつでも変わっていけたなら、とても素敵だと思う