さっき言った通り私に姉妹はいないし、チョコレートとかそういうのをあげる相手もいない。けれど毎年バレンタインにお菓子を作ってくれる人はいたりする。もちろん恋人とかそんな関係ではなく、私がうるさい位に催促するので作ってくれているというような感じだ。

厚かましいとは思っているけれどアレを食べたら止められない。アレはもう甘い凶器としか言えないよ、うん。今年もお願いしに行ったら「いいよ」って優しい笑顔で言ってくれるんだもんさ、ほんと涙でそうになっちゃったね。だからいつまでもついつい甘えちゃってほんと申し訳なさでいっぱいだ。

どこかへと急ぐ彼女たちからすれ違う度、色々なお菓子の香りが鼻をくすぐって行く。その度に頑張れって応援したくなるのはきっと香りと共に彼女たちの真心も伝わってくるからだろう。だからお腹もだけど、心もなんかもいっぱいに満たされたような気がして、嬉しくなってしまった。

「あ、きたきた。さんこっちだよ」

そんなことを考えていたら、素敵な笑顔をしながら教室の出入り口で待っていてくれた令さんについつい顔が綻んでしまった。

「どうしたの?随分とご機嫌じゃない」
「そりゃ令さんの手作りケーキが食べられるからね」

毎年恒例となっているものだから令さんも手馴れてしまって、自分の机の上に私の分のケーキを用意してくれていた。家に帰ってから食べたほうが良いんだろうけれど、完成品を見てしまうとどうしても我慢が出来なくなって結局その場でになってしまう。いつだったか、令さんからケーキを貰って家で食べようとは思っていたんだけれど、ちょっとどんなのか見るつもりで箱を開けたら余りにも美味しそうで、見ているうちに食べたいという誘惑に負けてしまったのは。

「用意までしてもらってごめんね」
「ううん構わないよ。それに前みたいに手で食べられてたら困っちゃうし」
「あ、あれは!…ちょっとクリームを舐めてみようと思って指に付けてただけだよ」
「それで終わりそうには見えなかったけれど」
「うっ!」
「あれ見た時は本当にびっくりしたなー」
「ううっ…。あのときはお世話になりました」

そう、ほんのちょっと味見してみようと思ったんだ。そしたら止まんなくなっちゃったんだよねー…ははは。

さっきケーキを貰って嬉しそうに帰っていった同級生を、たまたま通ったクラスでケーキを手で食べている姿を発見した令さんの驚いた顔といったら…。しかもその後わざわざお皿とフォークを薔薇の館から持ってきてくれたし。頭が上がんなかったねあの時は。

そしてその年以降、こうして食べる分を用意してくれるように相成りました。

「それだけ美味しそうに見えたのなら作ったこっちも嬉しかったけれどね」
「いやいや実際美味しかったって。お店のよりも」
「それは褒めすぎ。でも、ありがとう」

令さんは照れ笑いをしているけれども、今のは褒め過ぎでもなんでもない。本当にお店のよりも美味しいと私は思う。しかもその技術は毎年比例していくし、どこまで行く気なんだろうと思うくらいだ。貰ったケーキ実は自分ひとりで食べてるなんて言ったら令さんはまた驚くだろう。それは流石に内緒だけれども。

目の前には漆黒のようなビターチョコレートケーキが一切れ置かれている。甘くも濃厚なカカオの香りがして、食べる前から絶対に私好みだと確信していた。

「食べても良い?」
「もちろん」
「やった!それじゃあ早速、頂きまーす」

フォークで一口分にした後口に入れる。その瞬間ビターチョコの濃厚な味とほろ苦さが口いっぱいに広がり、ふわっと溶けていってしまった。ケーキなのにこの口溶けはすご過ぎるだろう。これは今年もこのケーキ1人で食べちゃうな。

「令さん、今までの中で一番のお気に入りだよこれ」
「そう、それは良かった」
「うまー。うますぎでしょこれ」

その後も私はうまいうまいと言いながら1人黙々と食べ続けていた。

「良く作れるよねこういうの。私には難しすぎて絶対無理だな」
「そうかな?さんにだって作れるよ。意外と簡単だし」
「それは令さんだからだと思うけれどな」
「そんなこと無いって」

思えば令さんはお菓子作りだけ得なく、編み物とかも得意だった事を思い出した。顔は美少年なのに、心も家庭的なところも誰よりも乙女だなこの人は。令さんと居れば暮らすうえで何にも困ることがなさそうな気がする。優しいし気も利くし、良い所しか思いつかない。あ、ちょっと気が弱い所があるかもしれない、押しが弱いというか何と言うか。

「何か今失礼なこと思ってなかった?」
「ううん、全く」
「………」
「…ちょっとだけ」
「正直な所はさんのいい所だと思うよ」
「ありがとう」
「で?」
「何が?」
「なんて思ったのかな」

こういう時は押しが強いのかもしれない。いや、私が駄目なのか?相性が悪いとかそういうのだろうか。たとえ言ったとしても令さんは怒ってりはしないと思うけれど、しょんぼりするかなって思うんだ。

「これ没収にしちゃう?」
「うわああ!それだけは、それだけは勘弁してください」
「じゃあ言う?」
「い、言う。…ちょっと気が弱いって思った」
「へー」
「ああー言ったのに!ケーキ返してー」

どんなに必死に手を伸ばしても、悪あがきで背伸びをしても、令さんからケーキを奪い返すことは出来ない。出来るとしたら余程の身長の持ち主だろう。残念なことに私にはどう頑張ろうと…椅子があった!

近くの椅子を引き出して、誰にかはわからないけれど一応心の中で断りを入れてその上に乗る。椅子って素晴らしいと思うほどに私は軽々と令さんの身長を超した。が、問題がもう1つ。私と令さんの間に気が付けば距離が開いていて、高さは良くなったけれど別の意味で今度は届かなくなってしまった。

互いにただ見つめ合う時間が暫く続いた後、何事も無かったように私はさっきの席に、令さんはその隣の席へと腰を下ろした。高校生にもなって何をしているんだろうと冷静になって、気まずくなったわけでは決して無いと言っておきたい。誰でもない自分へ。

「今度」
「え?」
「今度さんも一緒にお菓子作ろうよ」
「うーん…。私に出来るかな」
「大丈夫だよ」
「そうだね、お菓子作りのプロが一緒だもんね。それに、令さんと一緒なら楽しく出来そうだ」

摘み食いし放題だしねという本音は言わない。実際一緒に作るのは楽しいだろうし。

こっそりでも無いがお持ち帰り用のケーキをちょっとずつ端っこから食べだしている私の横で、令さんはなぜか嬉しそうに微笑んでいた。

「そんなに嬉しそうにしてどしたの」
「うん、ちょっと昔のこと思い出して」
「昔のこと?」
「そう。私がお菓子作りをするようになったきっかけ」
「それって…」

それはかなり重大な出来事じゃないか。じゃあその出来事が無ければ今の令さんの腕前は無かったということになる訳だ。誰だかわからないけれど偉いぞ、良くやったと褒めてあげたくなった。

それでその人は誰なんだいと聞くと、令さんはえっと声を出して驚いたあと、なぜか怒られた子犬みたいにしょぼんとして「覚えてないの?」とそう漏らした。覚えてないのって言うことは私も関わっていたということになる。もしかしたらその場を目撃していたのかもしれないけれど、全く覚えていないのが事実だった。

「いや、面目ないくらいに覚えてない」
「…私がお菓子を作るようになったきっかけはさんなんだよ?」
「はっ!?私?…私なんかしたっけ」

令さんのその意外な言葉に私はただ疑問符を頭に浮かべることしか出来なかった。話をまとめると褒めてやりたい奴は私で、いつの時の私かわからないけれど何かをやらかした私によって令さんはお菓子を作り始めてこんなに上手くなったと、そういう流れになるわけだ。でも重要な何をしたのかという部分はすっぱりと抜けていてわからない。結局駄目じゃんか自分。

私の思考を読んだのかどうかは謎だが、令さんは困ったように笑うとぽつりぽつりと話し始めてくれた。ちょっと昔の私たちの物語。

さん覚えてないみたいだけれど、私ってお菓子作るの凄く苦手だったんだよ」
「えー!嘘だぁ」
「いやほんとだって。初めて作ったのはクッキーで、ほら小等部の時に作ったでしょ?」

必死に小等部時代の記憶を呼び起こす。ぼんやりだけれどなんかオーブンから黒い煙と焦げ臭い香りが辺り一面に広がって大騒ぎになったような気するやつだろうか。それとも原因不明の小爆発を起こした時のやつだろうか。とにかくどれにしろ黒い煙は出ていたので結果はどうであろうと「うんあった」と頷いておくことにした。

「その時なんだけれど私クッキーを焦がしちゃったんだ」
「はぁ〜、今の令さんからは想像つかないわ」
「それでね、他の皆は上手くできたのに何で私だけって落ち込んでたら知らない子がひょっこり現れたんだ」

令さんはその時の事を思い出してか1人楽しそうに話し続ける。正直な所私は思い出せないでいたけれども、令さんがにこにこしているのを見ていたら私もなんだか嬉しくなった。

「でね、さんは何食わぬ顔をして焦げてるクッキーを食べてくれたんだ。おいしいよって言って」
「なんか超食い意地張ってるようにしか思えないね」
「そんな事ないよ!すごく嬉しかったんだから」
「そう?」

令さんは「うん」と力強く頷くので、超食い意地が張っているからちょっとだけ食い意地が張っているに私の中で昇格した。でもそれが令さんにとって嬉しい出来事になってくれたのなら、それこそ本望だ。

「本当に今日みたいに美味しそうに食べてくれてさ。しかもまた、あなたが作ったの食べたいなって言ってくれたから」

だから今の自分があるのだと、令さんは笑った。

でもと私は思う。本当にそれがきっかけになったんだとしても、やっぱり令さんの努力があってこそ今に至っているんだから。だからそれは私のおかげでも何でもなくて、令さん自身が頑張ったからなんだ。

「今の令さんがあるのは令さん自身が頑張ったからだよ。私はあまり関係ないよ」
「関係ないはずないよ。確かに頑張ったけど、何度も挫けそうになったんだから。それでも頑張れたのはさんのおかげなのに」
「私の?」
「そう、さんのおかげ。どんな出来具合でもいつも美味しいって笑って食べてくれた」

令さんは自分の手のひらを見つめるとこぶしを握る。そこには何か力強い決意のようなものが垣間見えたような気がした。

「だからまた食べてもらおうって、喜んでくれるかなって、いつかは本当に美味しいものを食べてもらうんだってそう思ったんだ」
「令さん…」
「今ようやくそうなったと思うんだけれど」

ちょっと照れたように笑う令さんはなんだか幼く見えて、それこそ当時のときの令さんが今ここに居るように思えた。

「今じゃないよ。前からちゃんと美味しかった」
「え?」
「美味しいって言うのは何も味だけじゃないと私は思ってる。確かに昔の令さんのお菓子、味は今一だったかもしれない。けれどもう1つ
 の大切なものはちゃんとあったよ」
「もう1つのって?」
「心。その人に食べてもらいたいって言う気持ち。だから私は美味しいよって言ったんだよ」

見た目もちょっと歪で、味も今みたいに良かったわけじゃない。けれど誰よりも令さんのお菓子には心がこもっていた。誰かにではなくその人のためにという心が。

「だから私は令さんの作るお菓子が大好きなんだ」

面食らったような顔をしていたかと思うと、顔を真っ赤にして令さんは「ありがとう」とはにかむ。お菓子も好きだけれど、令さんのその笑顔も実は好きだったりする。また食べたいなって言うと昔の令さんは良くそうやって笑ってくれたっけ。

いつまでも見たいその笑顔と、いつまでも食べたいと思う令さんのお菓子。けれどやっぱりずっとというのは難しくて、いつか終わりがきてしまうんだと思うとかなり寂しい気持ちになる。それほど毎年恒例になっているこの行事でも、それ以外の日常でも、令さんのお菓子と笑顔は私にとって無くてはならないものになってしまっていたんだと、今更ながら気が付いてしまった。

「いつまでかな」
「なにが?」
「こうして令さんのお菓子を食べていられるのも」
さん?」
「ずっとって言うのは無理だってわかってる。けれども出来るのなら一生続けられたらいいのになって思うよ」

終わりを迎えるのはきっとそう遠くないだろう。なんて1人しんみりしていると、令さんの大きくてちょとごつごつした手が私の両頬に触れた。驚いて令さんの顔をまじまじと見ると、剣道の試合の時みたいに真剣な顔をして、そして滅多に無い強気の令さんがそこにはいた。1度何かを考えるように目を瞑ると真っ直ぐと私の瞳を見て、令さんは言った。

「出来るよ。一生続ける。さんのためだけのお菓子を作り続けるよ」

そんなまるでプロポーズみたいな台詞に、思わず私は笑ってしまった。令さんは少し真面目すぎるかもしれない。いっぽう令さんは心外だと言うような表情をしていたけれど、私は構わず笑い続けた。

「良いの?そんな事言っちゃって。本当に一生かもしれないよ?」
「そのつもりだけれど」
「…重荷にはならない?」
「ならない。私が好きで作るんだもの」
「そっか」

今まで食べた何よりもずっとずっと甘くて極上な約束。そして何よりも心がこもっている言葉。令さんは本当に不思議な人だ。一緒に居ると、とても幸せな気分になるのだから。

「ありがとう」と言って笑うと、あの大好きな笑顔が私を包んでくれた。