「さん」
ちょうど教室を出るところでクラスメイトの1人に呼び止められた。
「なに?」
「掃除。忘れてるでしょ?」
「…ううん。忘れてなかった」
思いっきり忘れていた。けれど正直に忘れていたと言うのはいただけなかったので苦し紛れに私がそう言い訳を言うと、クラスメイトに嘘が下手なのねと笑われてしまった。鞄を持っていたというところが駄目だったのか、それとも外掃除なのに鞄を…同じことか。
嘘じゃないよと言ってみるとクラスメイトは「じゃあサボろうとしたの?」とまだくすくす笑いながら問い返してくる。この場合、嘘をつくのとサボろうとするのはどちらが悪いんだろうと考えた結果、
「嘘つきました。ほんとは忘れてました、ごめんなさい」
ということになる。素直でよろしいと先生のような真似をするクラスメイトは結構寛大だななんて思っていた。前にもこういうことがあったけれど、その時はすんごく怖かったんだよその人。
ほらほらと背中を押された私は急いで鞄を置いて、その同じ掃除場所である彼女と変な会話をしながら(主に私が発端)外へ出て行くのだった。
季節柄ほとんど落ちてしまった銀杏の葉は、随分と前にかなり苦労しながら取り除いたのであまりやることが無い。けれど不思議なことにどこからか枯れ葉は出てくるもので、時折風に吹かれてからからと乾いた音を立てながらやってくる。それを箒で掃こうと近寄ったまでは良かったけれど、あの私の悪い虫がやってきてしまった。そろっと辺りを見回して誰も見ていないのを確認すると、私はそれを足で踏みつける。ぱりっと気持ちの良い音を立てて枯れ葉は粉々になっていった。うん、これがたまらなく面白いんだよなぁって1人悦んでいると、背後からぞくりとしたものが背中に伝わった。
おそるおそる後ろを振り向くと、呆れたと言わんばかりの顔をしたクラスメイトが立っていた。
「ほんとにもうさんはー」
「あ、あははは。つい」
「ついじゃないでしょ。ごみを増やしてどうするのよ」
「ごもっともで」
申し訳なくなり素直に頭を下げる。彼女は仕方ないなと言いながら掃除を手伝ってくれる。何だかんだ言いながら何かと面倒を見てくれる彼女に私は満面の笑みを送った。調子のいい奴だと思われているかもしれないけれど、でも嬉しかったんだ。
その時またぞくりと悪寒のようなものが走る。なぜか後ろが気になって振り向くが、今度は誰もそこにはいない。あるのは銀杏並木ぐらいなものだ。
「どうしたの?」
「いやなんかね、さっきから妙な寒気がするんだ」
「風邪かしら?気をつけないと」
「うーん…。そうだね」
心のどっかで風邪じゃないような気がするのはなぜなんだろう。ここ最近ずっとこんな調子だからかも知れない。どこからか人の視線を感じたり、今みたいなことが起こったりするんだけれど。
いくら考えようとも原因はわからずじまいで、取りあえず今日は早めに寝ようかと考えていた。
「それじゃあ掃除は終わり…って、あら?」
「ん?どうしっっぐぅ!」
何かを見つけたように彼女は私の後ろを見ていたので、なんだろうと私も振り返ろうとする前にその衝撃はやってきた。セーラーカラーを思いっきり後ろに引っ張られ、えりが喉におもいっきし入ってきたのだ。あまりの苦しさに声をあげることも出来ず、蛙が押し潰された様な変な音しか出なかった。
引っ張られる力が弱まり喉への圧迫感が薄れる。それと同時に私はごほごほと咳き込みながら、出て行ってしまった酸素を勢い良く吸い込んだ。苦しすぎて涙が出てくる。一体誰なんだと涙で滲む視界を背後に向けると、不機嫌そうというより怒っていますというような顔をした由乃さんが仁王立ちしていた。
「けほけほ、ごほっ…。はぁ、由乃さん何すんのさいきなり」
「…さんが悪いんじゃない」
「な、なんで?何もしてないのに」
今にも成敗してやると言う感じで殺気立っている由乃さん。でもね由乃さん、私はなんも罪状が無いんですけれど…。
抗議を目で訴えるとドスの利いた声で「なによ」とただ一言で片付けられてしまった。顔と性格が全く一致していない。何も悪くないのに無理やり罪を作られて処罰されそうな私を誰か助けてはくれないだろうか。これじゃあ由乃さん、どっかの悪代官だってば。
「…さん、私先に行っているわね」
「え!?ちょっ」
唯一この状況から何か打開策を出してくれそうだったのに、そそくさと先へ行ってしまった。しかもなぜか楽しそうに笑いながら「由乃さん頑張ってね」なんてけしかけていく始末。もうこれ以上由乃さんを煽らないで欲しいという私の切実な思いは、この冷たい風に乗ってどこかへと飛んでいってしまったようだ。
「……あの、由乃さん?」
「なに」
「何をそんなに怒っていらっしゃるんですかね?」
「…別に怒ってなんかいないわよ」
「いや、全然そう見えないんだけれど」
そんなむっとした表情でそう言われても全然説得力なんか無い。なんて言ったらもっと恐ろしいことになるんだろうな。
「随分と楽しそうだったじゃない」
「え?」
「さっきよ」
「ああ、さっきね。いやー、かさかさの葉っ踏むのって癖にならない?」
「もう、そうじゃなくて!」
「違うの?」
楽しそうだったて言うからてっきりこの事だと思ったんだけれど…って由乃さん見てたのかな。だとしたらさっきの何とも言えない視線の元は由乃さんだったという事になるんだけれど。聞きたいのは山々だが、そんな状況じゃないのでそれはまた今度にしておこう。
「さっき一緒にいた子とよ。凄く仲良さそうだった」
「そんなに?」
「そうよ」
「そうかなぁ?まあ、同じクラスだし。由乃さんだっているでしょ仲の良いクラスメイト」
「それはそうだけれど…。そういう意味じゃなくて」
由乃さんがさっきから何が言いたいのか私にはさっぱり理解できない。珍しくしどろもどろしている由乃さんを目の前に、私はただ次の言葉を待つしか出来ないでいた。
「ああー、もう。要するに、好きなのかって事よ!」
「はぁ。えっと、な…」
なにがと続けようとした瞬間、あの由乃さん特有の鋭い目つきで睨まれたので、今口から出ようとしていた言葉をごくりと飲み込む。取りあえず笑ってこの空気を誤魔化そうとしたけれど頬が引きつって上手く笑えなかった。
わなわなと震える由乃さん。由乃山という山が今噴火しようとしていた。手に持っていた可愛い紙袋を高々と振り上げたのを目で追いかける。多分その次は殆どの人が予想できるだろう。
「このニブチンがぁ!!」
威勢の良い叫び声と共に至近距離で思い切り叩き付けられた紙袋は、良い音をさせながら案の定私めがけて飛んできた。いくら予想してたとはいえここまでは無理だったなぁー。まさか顔に叩き付けられるだなんてさ。
再び私の視界は涙で滲む。ぼやけた視界の向こう側にはちょっと息を荒げた由乃さんの姿が映っていた。心なしちょっとスッキリしたような表情になっている。ただ鬱憤晴らしにされたのではと少し疑問に思わずにはいられない。
「うー…。酷いよ由乃さん。一応私だって女の子なのに」
「関係ないわよそんな事。はぁー、すっきりした」
「やっぱり意味も無く投げたのか!」
「失礼ね。ちゃんとあったわよ」
「じゃあなにさ」
「そういう鈍い所がむかつくのよ」
ふんと鼻を鳴らす由乃さんが清清しく見えるのはなぜだろうか。諦めの境地に入ってるのかな私。
何とも理不尽であるその理由。けれど由乃さんは正論だといわんばかりに自信たっぷりだった。
「私といる時はあんな顔しないじゃない」
「ん?何か言った?」
「いいえ!なんでもありません!」
「そ、そうですか」
「それよりもそれ、開けてみてよ」
と、由乃さんは紙袋に視線を向ける。そう言ったとき少しだけトーンが下がった様な気がして由乃さんを見やると、ちょっとだけしおらしい姿の由乃さんになっていた。
不思議に思いつつ言われたとおり紙袋を開けてみると、中には黄色を基調にした可愛らしい手袋が入っていた。ちょっと歪な形をしたその手袋。その理由は多分、手作りだからだということが気恥ずかしそうにしている由乃さんから伺えた。
「わざわざ作ってくれたの?」
「そうよ令ちゃんに教わりながら作ったの。…下手くそだけど」
「そんなの関係ないよ。由乃さんの気持ちがこもってるんでしょ?」
「それはもちろん」
「そっか。ありがとう、嬉しい」
私は早速由乃さんがくれた手袋を手にはめる。手もだけれど、心も暖かくなるのは手作りでこそ出来る業だな。
「ふふ、暖かいよ。大事にするね」
「喜んでもらえた?」
「もちろん」
「そう…。良かった」
ほうっと溜息を付く由乃さん。どうやら気を張っていたらしい。だからか、いつも以上にイライラしていたというかあれだったのは。そんな女の子な由乃さんが急に可愛く見えて、口元が緩む。きっとああでもないこーでもないって言いながら一生懸命に作ってくれたのかと考えるとこの上なく幸せな気分になった。
「っ!さんその顔…反則」
「その顔って言われても…」
「ちょっとこっちみないで」
いきなりそんなこと言われても困るんだけれど。生まれてこの方私はこの顔で生きてきたんだけれどなぁー。
そっぽを向いている由乃さんは耳まで真っ赤になっている。風が冷たくなってきたから…なのかな?
「んっと、風邪引くといけないからそろそろ帰ろうか?」
「そうね」
「賛成してくれるのは良いけれど、いい加減こっち向いてよ」
「う、うるさいわね。私の勝手でしょ」
「それはそうだけれどさ」
なんだか寂しい気持ちになるから止めてもらいたいんだけれどという私の気持ちはお構いなしに、由乃さんはずんずんと前を歩いて行ってしまう。遅れないように付いて行きながら、気が付かれない様に私は由乃さんの後ろで笑っていたのだった。
「で、由乃さん自分の分の手袋は?」
途中まで一緒に帰ることにした私と由乃さんはコートを着込み、そして昇降口へとやってきていた。私は由乃さんがくれた手袋をも装着している。けれどくれた本人は素手だった。
「…家に忘れたわ。そんな事に気が付く余裕が無かったのよ」
悪い?と言いたげな由乃さんに私は苦笑いを漏らした。
「あ!良い事思いついた。由乃さん右手出して」
「?なにするの?」
「いいからいいから」
訝しげにしながらも大人しく右手を出す由乃さん。私は右手の手袋をはずしてそれを由乃さんの右手に被せる。
「いいわよ。これじゃあさんが寒くなっちゃうじゃない」
「ならないよ。もう片方はほらこうすればいいでしょ?」
私はそう言いながら空いたほうの手で由乃さんの左手を握る。手袋までとはいかないかもしれないけれど、幾分かは温かいと思うんだ。隣を見れば…ってまたそっぽ向いてるし。でも手を繋いでいてくれてるってことはきっと悪くは無いと思ってくれているんだろうとそう勝手に思うことにした。
いつもは寒く感じた日々だけれど、今日はなんだかとても暖かく感じた。