さん」
「ん?あれ、珍しい人がいる。どうしたの?誰かに用事?」
「ええ、まあ」

懐かしい声に呼ばれたかと思って振り向くと、珍しいことに、そこには蓉子さんがちょっと申し訳なさそうに立っていた。

堂々と入っちゃっえば良いのに。誰も気が付きはしないだろう…ってそれは無いか。なんたって全校生徒の憧れだものね。とはいえ喜ぶ人はいたとしても文句は言われないのだからやっぱり知らん顔で入ればいいと思うよ、うん。

「ということでどうぞ」
「どうぞって…一体さんなのかで何が起きてたのか、全然分からないのだけれど」
「細かいことは気にしない気にしない」
「気にならないわけないじゃない」
「蓉子さんはお堅いなぁ。用があるんでしょ?入ったらいいよ、我が物顔で」
「………」

あ、固まっちゃった。どう返していいのか分からないという表情をしているよ。うーん、蓉子さんでも対応に困る人物がいたようだ。悲しいことにそれは私みたいなのだが、気にはしないよ。

「まあ、冗談はこれくらいにしておいて」
「絶対に本気だったでしょう」
「うん?さ、どっちでしょう。というのは置いといて、誰に用事があるの?入りにくいなら呼んであげるよ」
「それは……」

この学校大きいからやっぱり他のクラスには入りづらいところがある。あまりクラス同士で接する機会もないし、教室が離れていればそれはなおさら。私だって他のクラスに入っていくのは勇気が要るさ。だから半分は冗談だよ。

それにしても今日の蓉子さんはなんだかいつもと違ってなんだかシャキッとしていない。いつも話している時だって何をしている時だってはきはきとしているけれど、今はなんだか様子がおかしい。考えているような、戸惑っているような、躊躇しているようなそんな感じだ。

たまにこっちを見ては何か言い出そうとしているけれど結局声にはならなくて、代わりに俯いてしまう。視線はうろうろとさ迷って落ち着きが無いし、心なしか元気が無いように見える。

これは私にとって大事件とも言える。いつもかっこよく颯爽と何事もやってのけるあの蓉子さんに一体何があったのだろう。もしかしてもしかするとはやり病なのかもしれない。

「すぐ病院に行ったほうがいいよ」
「だからさんの中で何が起きているのよ」
「何って事件。それも飛び切り大きいの」
「………」

また困惑した表情を浮かべている。私に何を求めていると言うのだ蓉子さんは。

「だっていつもの蓉子さんじゃないんだもん。何でもさらさらっとやってのけてるのに今日は違う」
「いつものって…。私そんな風に見られてるの?私だってできないことたくさんあるわよ。さんが思ってるような人間じゃないわ」
「そうかな?私にとって蓉子さんはヒーローみたいにかっこいい存在なんだけれどな。憧れだよ」

そう憧れなのだ。憧れと言っても皆とはちょっと違うものだけれど。

なんて言っていたら蓉子さんの顔が見る見るうちに真っ赤になっている。結構症状が重いのかもしれない。

「間違いない、はやり病だよ。すぐ病院いこ?」
「ち、違うから。そうじゃなくて…」
「そうじゃなくて?」
「その、嬉しいと言うか、恥ずかしいと言うか……」
「んー。あ、もしかして照れてたりする?」

返ってきたのは沈黙。どうやら図星だったらしい。蓉子さんも照れることがあるのか。新しい発見だ。

「蓉子さん照れてるのかー。なんか可愛いなぁ」
「か、可愛いって……良くそういうこと言えるわね」
「本当のことだもん言えるよ。可愛い可愛い」
「お願いだからやめて」
「いいじゃん、減るもんじゃないんだから。それよりそろそろ本題に戻ったほうがいい?」
「本当に突拍子もいいところね。はぁ…悩んでるの馬鹿らしくなってきたわ。あなたのおかげね」

言葉とは裏腹に優しくにこっと蓉子さんは笑う。それはなんだか色々吹っ切れましたと言うような笑顔だった。

良く分からないけれどいつもの蓉子さんに戻ったらしい。それはとてもいいことで、はやり病ではなかったということだった。

「はい、これ。受け取ってくれる?」

そういって渡されたのは赤い包装紙でラッピングされた正方形の箱。それからは甘いいい香りがただよってきた。

「これ、もしかしてチョコレート?」
「ええ、そうよ」
「私が貰ってもいいの?」
「あなたのためだけに作ったんだもの。もちろん」
「用事があったのって私?」
「ええ」
「食べてもいい?」
「ふふ、さんさっきから質問ばかりね。どうぞお好きなように」

蓉子さんからの了承もあり私は迷わず今食べることにした。了承が得られなかったら食べなかったのかというと、もちろん食べたに決まっている。だってすごく美味しそうだし、嬉しかったから。

きっと最後まで手を抜かずに頑張ったんだろうなぁ。ラッピングも完璧だよ。私だったら取り合えず中身入ってるからいいやってなりそうなのに。

だから私も出来る限り綺麗に包装紙をはがした。それを綺麗にたたんでポッケに入れると大本命の箱に手をかけて蓋をゆっくりと開けて、私は感嘆の溜息を漏らした。

お店で売ってるのとほとんど変わらないくらいの出来栄えに、なんだか食べるのが勿体無くなってしまった。なんていうのはほんのひと時だけで、早速口に入れてしまっていたりする。だって凄く美味しそうだったからね、我慢できなかったんだよ。

「うわー、蓉子さんすっごい美味しいよ」
「ほ、本当?あまり自信がなかったのだけれど」
「ほんとにほんと。超が付くねこれ」
「そんなに気に入ってもらえたら作った甲斐があったわ。私も嬉しい」

そう言ったときの蓉子さんの笑顔に思わず見とれてしまう。何だろう、少しだけどきどきするような気がするのは。

ちょこっとだけ考えてみたけれど私では分からなかった。

「そうだ、お礼何がいい?」

半分まで食べたチョコレートを慎重かつ大事に鞄へしまう。一気に食べるのは勿体無いので家に帰ってまたゆっくり食べることに決めた。きっと家族が見たら欲しそうにするんだろうけれど1個たりともやる気はない。全部1人で食べるんだから。

「お礼なんていいわ。私が作りたかったんだもの」
「私もお礼したいって思ったんだもん。そんなに深く考えないでさ、何かない?」
「そうね…。私としては美味しいって喜んでもらえただけで十分なのだけれど」
「んー、じゃあさ何か思い付いたときでいいよ。いつでも受け付けます」
「……わかったわ。じゃあそのときに」
「うん!」

大層な事は出来ないけれど、蓉子さんは私の事分かってくれてるから大丈夫。学年があがってクラス変わっちゃったけれども一年間ずっと一緒に居たんだから。面倒を見てもらっていたとも言うけれど。

「蓉子さんよかったら途中まで一緒に帰ろう?」
「ええ、もちろんいいわよ」

前はよくこうして帰ったのを思い出す。今日はなんだか良い事尽くしだ。

「あのね蓉子さん」
「なあに?」
「たまにこうして一緒に帰ったりしたいんだけれど…だめかな?」
「え!?ううん、全然駄目じゃない」
「ほんと?やったー。じゃあ今度迎えに行くね」

忙しいから駄目かなって思ったけれど思い切って言ってみて良かったみたいだ。またこうして前みたいに一緒に帰れるんだ。

すごくすごく嬉しい。

「蓉子さんは優しいから大好きだなぁ」
「っ!?」
「怒るときとか厳しいときもあるけれど、それって心配してくれてるからなんだよね?って事はだ、いつも蓉子さん優しいわけだ」
「………」
「じゃあ私はいつも蓉子さんの事が大好きってことなのか!?そういう事になるよね?」
「…お願いだから私に聞かないで」
「えー、蓉子さんだったら分かるかと思ったから聞いたのに。違うのかな…」

蓉子さんは何故か黙ったまま、しかも早歩きですたすたと行ってしまう。

何かまずいこと言ってしまったのか凄く不安になってくる。私は気が付かないうちに結構やらかしてることがあるらしいから、もしかしたらもしかするかもしれない。

そう言えば良く蓉子さんに自覚がないとか天然過ぎるとか鈍いとか言われていたっけ。

………じゃあやっぱり何かやらかしたんだな私。ごめんね蓉子さん。

「蓉子さん待ってよ。何かよく分からないけれどごめんねー!」
「よく分かってないなら謝らないで!」
「ええー!?そんなこと言われても……ってあ、待ってってば」

蓉子さんとの距離はどんどん開いてゆくばかりでちっとも追いつけやしない。蓉子さんこんなに足速かったなんて知らなかったよ。

なんて言っている場合じゃない。まだいっぱい話したいことあるのにこれじゃあ少しも出来ないじゃないか。今度からは本当に気をつけて発言するようにするから。

まだまだ聞きたいことがあるんだ。それこそ蓉子さんと一緒に居るとどきどきするのは何でだろうとか色々。私のヒーローは何でも知ってるはずなんだ。だからだから―――

「蓉子さんお願いだよ、待ってってばー!!」

私は遠ざかって行くばかりの蓉子さんの背中を追いかけるので精一杯だった。