帰り際ちらほらといたる所で姉妹の姿を見かけた。思い思いに過ごしている彼女たちは本当に幸せそうで、見ていたら私もなんだかその幸せを分けてもらったような気がした。

マリア様の前まで来たので、いつものように手を合わせる。いつもはただ単にそう言う仕草をするだけなんだけれども、今日は1つあるお願いをした。

朝から見ているこっちまでそわそわしてしまいそうになるくらいに、態度にも顔にも出ていた同じクラスメイトの祐巳さん。トレードマークと言ったら本人は嫌がるだろうけれど、お得意の百面相が今日は二割り増しだったのを思い出す。

祐巳さんはお姉さまが出来て初めてのバレンタインだから、それはもう緊張してますって顔に書いてあった。見てる私としては可愛らしかったんだけれど、本人はそんな状況じゃなかったんだろうなって思う。時々こっちをちらっと見ていたので、少しでも緊張をほぐしてあげられたらなっと思ってにっこり笑ってあげたのは良かったんだけれど、なぜか顔を真っ赤にして前を向かれてしまって効果があったのか無かったのかさっぱりわからなかったなぁ。

とにかく、マリア様お願いします。祐巳さんが緊張しない…って言うのは無理かもしれないですけれど、お姉さまにちゃんと上手く渡せますように。

思わずぱんぱんと手を叩きそうになったのを押しとどめる。生粋のカトリックであればそういうことは無いんだと思うけれど、お正月とか神社に行ってお参りとかしちゃう家庭だから勝手にそういうときの癖が出てしまうのだ。まあそれほど一生懸命にお願いしていると言うことに…ならないかなぁ。

まぁいいやと手を下ろしてマリア様を見上げ、もう一度心の中でお願いをしてそこを去った。きっと上手くいくはずだと、私はにこにこ顔の祐巳さんを思い浮かべるのだった。

で、家に帰ったのは良かったけれど肝心なものを学校に忘れてしまっていた。わざわざもう1度帰ってきた家を出て学校に行くだなんていうことは、この上なく面倒くさい。などと言っても自業自得でしかないのだけれど。

何を忘れたのか、それは宿題。他の生徒みたいに予習や復習のためにノートや教科書を持ってかえっていれば問題ないはずだけれども、私の鞄には一切そんなものが入っていない。いやいや私だけじゃないと思うよ、たぶん…。

それにしてもよりによって生活指導の先生が担当している教科を忘れてしまうとは、なんて運が悪いのだろう。思い出したから良かったけれど、そうじゃなかったら地獄を見たと思うと冷や汗が出るね。他の教科だったら忘れましたって言えるんだけれど、あの先生はちょっと問題ありだから。怖すぎだもんね。

ぶつくさと誰にでもなく文句を言いながら、私は丘の上にあるリリアン女学園を目指していた。生憎バスは出ておらず、この意外ときつい坂を歩く羽目になったけれど近いから良かった。これで電車通学とかだったら諦めるしかなかったんだけれどね。

校門に着き、そこにいた守衛さんに生徒手帳を一応見せて中に入った。しかし、1人私服でリリアンの構内を歩き回るのはなんだかわくわくどきどきする。ほぼ毎日のように来ているんだけれど、しかもさっきまで居たんだけれど新鮮に感じられた。なんか探検しているみたいだ。折角だから本格的に誰にも見つからないように校舎へ入って、忘れた宿題を持って帰ろうと企てる。ここで言えば宿題は宝物とみなした方が面白いかもなー。

1人で冒険ゴッコ。見つかればかなり恥ずかしいリスクの高い遊び、スリル満点だ。ここからスタートだと校舎に入って、私は冒険の旅へと行くのだった―――

なんて格好良く言ってみましたがリスク全然高く無かったです。殆ど生徒はいなくなっていて、たまーに先生が歩いていくのを隠れて見送るくらいだった。多分残っている生徒は殆ど部活とかをやっている生徒だけかもしれない。あっさりと手に入れてしまった私は、折角なので真っ直ぐ帰らずに辺りをぶらぶらと散策した。

いくら自分の学校とはいえ、用事が無ければ行かない所なんてざらにある。まさに今目に留まった所なんかそうだ。

「…行ってみるか」

いつもは気にも留めなかったその古い温室に、なぜか入ってみようと思った。中には何かが植わっているんだろうとか、そんな認識しかなかった。知らないうちに気持ちが高揚していたのかもしれない。折角だからと、なんて自分は単純なんだろうと笑ってしまった。

ガラス張りの温室は、外からじゃ中があまりよく見えなかった。色々なものが植わっていたり、鉢植えとかが置かれていて視界が良くない。下のほうなんかは土埃がそのまま付着しているし、年代を感じるなーなんて良く言えばこんな感じだろう。

扉はキィィと高い音を立てながら開き、中に私を招き入れてくれた。外はあんなに寒かったのに、同じ季節とは思えないくらいに中は暖かかった。そして少しばかり湿度も高いけれど、まぁ温室だからしょうがない。ちょっと夏にはきつい場所かもしれないけれど、嬉しいことに只今冬真っ盛りなので一番良い時に来たのかもしれない。

それにしてもだ、中は自分の想像以上に広く感じた。もっとこう植物が占めているかと思ったけれど、結構開けているではないか。いっぱい植わっているけれど。まぁ随分と種類がいっぱいあるものだ…たぶん。何なのかはさっぱりと分からないけれど、同じような物があんまり無いから、種類がいっぱいなんじゃないかと勝手に憶測している。ただの雑草だったら泣きそうだけれど。

「へぇー、なかなか良い場所かも」

何だかんだ言って、静で不思議と落ち着くこの空間は居心地が良い。外から中が見えないから人目を気にしなくてもいいし、それにここが目に付いたとしてもほとんどの生徒は中には入ってはこない。ちょっと隠れ家的なこの場所は早くも私のお気に入り場所になりそうだ。

まるで自分の秘密基地を手に入れたように、ルンルン気分で歩き回っていると私は1人ではないことに気が付いた。どうやら先客がいたらしい。私だけかと思って変なこと口走らなくて良かったと安堵の溜息を付いて、そーっとその人影に私は近寄って行く。少しずつ見えてきたその人物の姿に私は思わず目を見張ってしまった。

そこには気持ちよさそうに眠っているタヌキ…もとい、クラスメイトの祐巳さんが居たのだった。

祐巳さんは大事そうに手提げを胸に抱きしめて眠っている。その寝顔があんまりにも可愛かったのでつい頬が緩んでしまった。でもなぜこんな所で寝ているのだろうと首を傾げる。確かにここは暖かいけれどわざわざ寝に来る所ではないはずだし、それにいくら暖かいとは言え寝ている人にはちょっと肌寒いはず。気持ちよさそうな所悪いとは思うけれど、風邪を引く前に起こそうと祐巳さんの側まで行った。

「祐巳さ……っ」

祐巳さんの肩に手をかけようとした瞬間、私はあるものに気が付いてしまった。遠目からでは気が付かなかったけれど、祐巳さんの両頬には涙が通って乾いた後が薄っすらと残っていた。祐巳さんはたぶん泣き疲れてしまったのだろう。幸せそうに眠る表情からはそんな事微塵も感じさせないけれど、でも確かにあったんだ悲しいことが。

私は祐巳さんの隣にそっと腰を下ろし、起こさないように注意を払いながら念のため私のコートをかけた。本当は起こそうと思ったけれどこんなのを見てしまったら易々とは出来なくなってしまった。きっと良い夢を見ているんだろう、いつものにこにことした表情をしているから。

「お姉さまに渡せなかったのかな?ごめんね、もうちょとちゃんとお祈りしておけばよかったね」

涙の後をなぞるように祐巳さんの頬触れる。すると祐巳さんが「んっ…」と身じろぎをして薄っすらと瞳を開けた。

「あ…、ごめんね起こしちゃった?」
「……おねえ、さま?」
「へ?」

祐巳さんの言葉に驚いた私は何とも間抜けな声を上げてしまった。お姉さまって、祐巳さん、私と祥子さまを間違えたら怒られちゃうよ。どうやら寝ぼけ眼の祐巳さんには私がお姉さまに見えるらしい。どうしたものかと頭を掻いていると「だめでした」と祐巳さんがそう呟いた。

「わたせ…なかったです」

悲しそうな声を出しながら祐巳さんは、まだ上手く回らない呂律でそう言った。うつらうつらとしている様子からまだ寝ぼけているのがわかる。もしかしたら夢の中にいると思っているのかもしれない。いけない事だとわかりつつも私は祐巳さんに話しを合わせる事にした。

「そう」
「あえなかった…。いちばん、に」
「うん?」
「あげ……かった」

こっくりこっくりと、所々切れ切れに言葉を紡ぐ。たぶん一番最初にあげたかったか、一番あげたかったんだと言いたいんだと思う。入れ違いか何かでお姉さまに会えなかったんだろう。一生懸命に前々から用意していたんだろうけれど、間が悪かったんだね。

「大丈夫だよ祐巳さ……祐巳。気持ちは十分に伝わっているから。だから心配ない」
「ほんとう…です、か?」
「本当に本当!だからもう少し寝てなよ。側に居るから」

泣いた後って寝るとすっきりするから。まぁ人それぞれだろうけれど、少なくとも私はそうだし、眠いって事は身体がそれを望んでいるんだろうから。優しく頭を撫でてあげるとこの上なく嬉しそうににっこりと笑うものだから、思わずどきりとしてしまった。祐巳さんのこんな顔今まで見たことが無い。確かにいつも笑顔で可愛い可愛いと思っていたんだけれど、今のは何かが違うのだ。でも何がと言われるとさっぱりわからない。

意味もわからず急に早く動き出した心臓の音が頭に響く。心なしか顔も熱くなってきたし、こういう時はどうしたらいいんだろう。

そんな私をよそに祐巳さんは「はい」と頷きながらくすりと笑ってこう言うのだった。

「きょうのおねえさま…はなしかた、へん……」
「………」

そのまま祐巳さんはこてんと私の肩に頭を乗せ、再び眠りへとつく。その傍らで私はおいおいそれは無いだろうと、正直落ち込んでいた。そりゃ祐巳さんのお姉さま本人ではないから変だろうけれど、これでも一生懸命にやったんだ。仕方ないよ祐巳さんのお姉さまと話したこと無いから、口調とかそんなのわからないもん。ただ祐巳さんがすっごくお姉さまが大好きなんだって言うことは知っているけれど。

すぅすぅと規則正しい寝息が私の耳に届く。天井からはぽかぽかと暖かい日差しが降り注ぎ、自分も段々と眠くなってきてしまった。駄目だ駄目だと思いつつも、襲ってくる睡魔にどうやら勝てそうに無さそうだ。眠気に抗えなかった私は祐巳さんと同じく夢の世界へと旅たつのだった。

「ん……ふぁぁぁぁー」

ちょっと肌寒くなり私は目を覚ます。相変わらず太陽はの日差しは降りそそいではいたけれど、やっぱり寝るまでにはちょっと足りなかったようだ。どのくらい寝ていたのだろうと時計を見てみると、思った以上にそんなには経ってなく、30分というところか。もう1度盛大なあくびをして隣を見ると相変わらず祐巳さんは気持ちよさげにすやすやと眠っていた。

「おーい。そろそろ起きようよ」

ぽんぽんと幼児をあやす様に頭をたたくと、駄々をこねるように祐巳さんは唸り声をあげた。本当に子供みたいだなと可笑しくて笑っていると祐巳さんがぎゅうっと抱きついてきた。

「あと、もうちょっと……」
「本当に後もうちょっと?」
「うん」
「はぁ、しょうがないな」

なんだかお母さんのような気分だと、しがみ付いている祐巳さんを抱きしめて背中を撫でてやった。嬉しそうな声を漏らして顔を肩口に埋めてくるもんだからくすぐったくなる。祐巳さんお日様の匂いがするな、なんて思っていると、静電気が起きたときの人間がする反応のように祐巳さんが私の身体から離れたのだった。

驚いて祐巳さんを見ると、どうやら私以上に驚愕している様子で、耳まで真っ赤になって口をぱくぱくとさせていた。祐巳さんは大混乱の真っ只中にいる模様。お得意の百面相がフル回転していた。

「ど、どどどど」
「ドーナッツ食べたい?」
「ち、違うよ」
「わかってる。どうしてって言いたいんでしょ」

こくこくと激しく頷く祐巳さんに我慢していたものが込み上げてきて、悪いとは思いつつも声を上げて笑ってしまった。それを見て祐巳さんは暫くの間きょとんとしていたけれど、段々状況が飲み込めてきたのか機嫌の悪そうな顔になった。それでもあまり怖くないのはご愛嬌といった所か。

「ごめんごめん。怒らないで」
「だって笑うんだもん…」
「あんまり可愛かったものでつい、ね」

ぷいっとそっぽを向く祐巳さんの頬は心なしか赤いような気がする。結構そう見えないけれど怒っているのかもしれない。

「ごめん祐巳さん、そんなに怒らないで?」
「お、怒ってないから」
「嘘だよ怒ってる」
「怒ってないよ」
「だったらこっち向いてよ」

ちらりと祐巳さんは視線を私に向けたけれど、やっぱり逸らしてしまう。参ったな、そんなに気にするとは思わなかった。申し訳なかったなと私はしょんぼりした。

「だから怒ってないってば。ただ、その…顔合わせるのが恥ずかしかったと言うか…」

そんなことをもにょもにょと口篭ってしまう祐巳さん。まぁ確かに私が祐巳さんの立場だったら学校に2度ときたくなくなるだろう。でもそれは私の場合であって、祐巳さんは似合ってるって言ったら可笑しいかも知れないけれど、可愛かったからいいと思うんだ。

「ま、まさか抱きしめられてるだなんて思いもよらなかったよ…」
「んー?でも祐巳さんのほうが先に抱きついてきたんだけれど」
「へ!?」
「ねむいーとか言ってさ。うん、可愛かったよ」
「………」

祐巳さんは相当恥ずかしかったのか頭を抱えると俯いてしまった。あんまり言わないほうが良かったのかもしれないななんて言った後に思っても仕方が無いか。寝起きとか寝てるときって誰でも無防備だもんね。私も変な寝言言っちゃってからかわれたことがあったもんなぁ。

「ほ、他に私なにか言ってた?」
「え?えっと……何も言ってなかった、よ?」

今度こそ言わないほうがいいと思った私は嘘を付いたんだけれど、何でか大事な時に声が裏返ってしまった。おかげで祐巳さんが疑いの眼差しで私を見てくる。親切心で言っているんだよこれは。

「教えて」
「いやだから…」
「いいから。教えてよさん」

いつにも無く強気で譲らない祐巳さんに、私は頷くことしか出来なかった。いつもはほわーんとしている感じだったけれど、こんな一面もあるとは知らなかった。伊達に紅薔薇の蕾の妹ではないな。

「後はね、寝ぼけてて私の事お姉さまって言ってた」
「うう…」
「それで、」
「まだ、あるんだ」
「止めとく?」
「聞く」
「…それで渡せなかったって悲しそうに言ってた」
「………」

ショックで何も言えないらしい。何かフォローになることは無いだろうかと探しているとあることを思い出した。

「あ!でも祐巳さん話し方が変って言ってたよ。だから寝ぼけながらも私の事本能的にお姉さまじゃないって感じてたんだね。凄いよ」

って言ったものの、祐巳さんはさっぱり聞いていなかった。やっぱりお姉さまに渡せなかったのが悲しかったんだろうな。

「祐巳さん、たとえお姉さまに渡せなかったとしても気持ちは伝わってると思うよ」
さん…」
「だからね?元気出して」
「その、励ましてもらっている所悪いんだけれど…お姉さまには渡せてる」
「…え?」

ぽかんと私は口をあけてその言葉の意味を考えていた。お姉さまに渡せているという事は、何をそんなに悲しいことがあったのだろうか。祐巳さんは誰にいったい渡せ無かったんだろう。

「え、でも祐巳さん泣いてたっぽいし」
「そ、それはそうなんだけれど」
「寝言でも一番にあげたかったとか何とか言ってたし」

再び祐巳さんは顔を真っ赤にして俯いてしまう。一体どういうことなのか誰かに教えてもらいたい。でも良く考えればお姉さまに渡せたのだったら良いんじゃないだろうか。私のお願い事も叶ったようだし。

そう1人で解釈していると祐巳さんが手提げ袋から何かを取り出すのが見えた。そして恥ずかしそうに取り出した箱を私の目の前へと差し出している。訳がわからず「え?」っと驚いていると祐巳さんはか細い声をだした。

「これ…貰ってくれる?」
「私が?」
「うん」
「祐巳さんが良いって言うなら貰うけれど…。渡したい人の分じゃないの?」
「渡したい人だから、渡したの」

その意外な言葉に反応が遅れてしまい、慌てて私は祐巳さんにお礼の言葉をのべる。まさか祐巳さんからもらえると思ってなかったから。うん、凄く嬉しい。その気持ちと同時にある疑問がふっと浮かんだ。

「もしかして私で最後だったりする?」

こくりと頷く祐巳さん。という事は、祐巳さんを泣かせた人物は私って事じゃないのか。かなり申し訳なくなって、本当私なんかがに貰ってもいいのかと不安になってきてしまった。

「ご、ごめんね。祐巳さんを泣かせたのは私だったんだ」
さんの所為じゃないよ。私が勝手に。気が付いたら泣いてたの」
「それでもごめんね。ありがとう私なんかのために。祐巳さんの気持ち伝わったよ」

祐巳さんはにっこりと笑ってくれたから私も笑顔を返すことが出来た。

「お返ししなくちゃね。何かあるかな?」
「いいよお返しなんて。それに…十分貰ったから」
「え?私何もあげてないけれど……」

それでも祐巳さんは貰ったのだと主張している。だから私は反対に何を貰ったのかと聞くと内緒だと言って教えてはくれなかった。1人嬉しそうに微笑む祐巳さん。泣かせてしまったけれど、今はこんなにも笑ってくれて私のほうこそ嬉しい気持ちになる。なんだ、宿題を忘れて良かったのかもしれない。それと宝物は宿題じゃなくて温室にいた祐巳さんだったのかもしれないな、なんてね。

「帰ろっか?」
「うん、そうだね」

また今度来たいな、祐巳さんと一緒に。そう言うと祐巳さんははにかむように「うん」と頷いてくれた。

外は温室と違って寒かったけれど、私たちの心はあの陽だまりのようにぽかぽかとしていた。