懐かしい夢を見た。

 あれはまだ私が、小等部低学年の頃の夢。

 令ちゃんが幼くて、いつもより頼りげがない。

 それでもやっぱり一緒に居てくれて、私を守ってくれていた。

 いつもいつも無理な事ばかり言って令ちゃんを困らせてた。

 今日見た夢もそうだった。

 令ちゃんは見るからにどうしようっていう顔をして、そんな令ちゃんの傍には自転車がある。

 そう、私は自転車に乗りたいとせがんでいた。

 けれどそれは無理な話で、心臓の弱い私にはこぐことなど出来るはずもない。

 でも、私はどうしても乗りたかった。

 自分の足で自転車を走らせたかった。

 毎日楽しそうに走っている令ちゃんが羨ましかった。

 それを見る度に、他の人にとって当たり前の事が出来ない自分がとても悔しかった。

 いつも我慢をしてみている事しか出来ない自分。

 だから、私はいつもよりしつこく令ちゃんにせがんだ。

 何かが変われるような気がしたから。



 「また令に無理なこと言ってるな由乃は」



 からからと笑いながらその子はやってくる。

 おろおろしていた令ちゃんは、その子が来たのが分かるとほっとしたように笑った。

 その子は、悔しくて涙を溜めていた私の顔を見ると、私をぎゅっと抱きしめる。

 私の溜まった涙を拭いてくれて、視線を同じ高さにするとにっと笑った。



 「由乃は自転車に乗りたいの?」

 「・・・うん。乗りたい」

 「そっか。じゃあ自転車に補助輪つけて、後ろ押すから、令が横から由乃を支えていけば・・・」

 「違うの!由乃は1人で乗りたいの!!」

 「由乃それは・・・」

 「うーん、1人でかぁ」



 その子は参ったなと言うように、わしわしと自分の髪を撫で始める。

 その横で令ちゃんも同じような顔をして立っていた。

 迷惑なのは分かってる、無理だって事も。

 それでもこれだけは譲りたくなかった。

 しばらく沈黙が続いた後、その子がぽつりと呟いた。



 「ねえ由乃、自転車の後ろにあるこれ、なんで付いていると思う?」



 そう言ってその子が指差したのは荷台。

 今なら迷うことなく荷物を載せるためだと言えるけれど、その時の私は分からず、首をかしげた。

 するとその子は嬉しそうに笑ってこう言った。



 「これはね、特別な人を乗せる所なんだよ」

 「特別な人?」

 「そう、特別な人。恋人だったり、自分よりも大切な人。由乃ここで一つ提案なんだけど」

 「なに?」

 「本当は誰も乗せないところなんだけれど、特別に由乃を乗せてあげようと思うんだ。どうかな?」



 特別と言う響が私をくすぐる。

 自分1人で乗りたいという思いがあったけれど、その子の特別になれると言う事に私は嬉しくなった。

 私は満面の笑みで「うん!!」と頷く。

 その子も笑うといつものように、ぽんぽんと私の頭を撫でてくれた。



 そこで目が覚めた。

 懐かしいような、切ない夢。

 また今度と言って約束したけれど、その約束を果たせないままあの子は引っ越してしまったのだ。

 あんなにも遊んでもらって、令ちゃんと同じくらい一緒に居たのに、私はあの子の名前を思い出せない。

 令ちゃんならきっと覚えてるはず。

 けれど、聞く気にはなれなかった。

 自分で思い出さなければならないと思った。

 だから私は叶っても叶わなくても願わずにいられなかった。

 マリア様。
 
 どうかあの子ともう一度会えますように、と。






 「ごきげんよう」

 『ごきげんよう』

 「「ごきげんよう。由乃さん」」



 いつもの扉を開けると、いつもの部屋に、いつものメンバー。

 けれど今日は少し違って、私の知らない人が紅薔薇さまの隣に座っていた。

 とても綺麗な人。

 ついじっと見てしまった。

 その人は私が見ているのに気が付くと微笑む。

 私は慌てて軽くお辞儀をして、いつもの席に座った。

 その時、その人は少し悲しそうに苦笑いをしたような気がした。



 「彼女は今日私のクラスに転入してきたの」

 「どうも、高山です。学年は上だけれど、リリアン歴は皆の方が長いから色々とよろしくね」



 他の学校から来たからなのか、砕けた感じの人。

 決して嫌な感じなのではなく、懐かしい、そんな気がした。

 そう思っていると、隣に座っている令ちゃんが皆に聞こえないように耳元で話しかけてくる。



 「由乃、覚えてないの?」

 「何が?」

 「何がって・・・」



 令ちゃんは眉をひそめる。

 訳の分からない私も同じような表情になっているのだろう。

 そうして睨めっこのように互いを見ていると、さまに声をかけられた。



 「なんか元気ないね」

 「え?」

 「悩み事でもあるのかな?」

 「いえ、特にありませんけれど・・・」



 初対面の人に元気がないと言われ、正直驚いた。

 しかも悩みがあるのかと。

 令ちゃんでも今日の私の変化は気づかなかったと言うのに。



 「そっか。そんな気がしたんだけど。まあ、あっても会って間もない奴に言える訳ないよね」

 「そ、そんなことは」

 「いいよ、気を使わなくても。ただね、仲のいい人だと余計に言いづらい事あるからさ、その時は頼って」



 そう言ってさまはにっと笑った。

 あ。

 なんだろう、懐かしい。

 私はさまの笑う顔を見て、何故かそう思った。

 自分でもわからない。

 それに、この人には話してもいいかなかんてそんな気持ちにすらなった。




 「今日、夢を見たんです」



 私は呟く。

 さまは私が話し出したのに気が付くと、少し椅子を机に近づけて私との距離を詰めた。

 令ちゃんや祐巳さんたちは驚いたような表情をしている。

 心臓の事もあってか、私は人と距離を置くようにしてきた。

 長年続けていた事だから、自覚なしに習慣になっているのを皆は知っている。

 でもこの時だけそれは無かった。



 「私が幼いころの夢なんです。心臓が弱くて、無理だってわかってたけど、どうしても自転車に乗りたいって令ちゃんに無理言ってて」

 「うん」

 「その時はどうしても引き下がりたくなかったんです。きっとその時まで我慢してたのが爆発したんだと思います」

 「そっか」

 「それで令ちゃん困っちゃって。そんな時いつも来てくれる人がいたんです。私が我がままを言ってて、令ちゃんが困ってるとき」

 「その人のこと覚えてるの?」

 「それが・・・。顔は覚えてるんですけど、名前がどうしても思い出せなくて」

 「あはは。ま、いいんじゃないの?それで?」

 「それで、その人が荷台は何のためにあるんだと思うって言ったんです」

 『荷台?』



 全員が首をかしげている。

 ただ、さまだけは嬉しそうに笑っている。



 「それで?その子なんて言ったの?」

 「荷台は特別な人を乗せるためにあるんだって、そう言ってました」



 沈黙。

 それぞれ思うことがあるらしく、誰もしゃべらなかった。

 その中やっぱりさまは楽しそうにしていて、私はとても不思議だった。



 「その特別な席に私を乗せてくれるとも言いました。けれど乗せてくれる前に引っ越しちゃったんです・・・」

 「ねえ由乃ちゃん、1つ質問してもいい?」

 「はい、何ですか?」

 「その子にもう一度会ってみたいと思う?」

 「・・・え?」

 「もう一度会いたい?」

 「もちろんです!!すごく、すごく会いたい」

 「そっか」



 私の答えに満足したのか、さまはにっと笑うと、私の頭をぽんぽんと撫でた。

 まただ。

 また、すごく懐かしく感じる。

 まるで・・・



 「蓉子さん悪いんだけど、もう帰るよ」



 何かをもう少しで思い出せそうになったとき、さまが席を立った。



 「え?もう帰るの?」

 「うん、やらなきゃいけないことがあるからさ」

 「何するの?」

 「ん?それは聖さん秘密だよ」

 「え〜」

 「っと、蓉子さん由乃連れてってもいいかな?」

 「ええ、構わないけれど・・・」



 私の意見も聞かずに話はどんどん進んでいく。

 それにさまは私のことを由乃って。

 横を見ると今度は令ちゃんがにやにやとしている。

 なんだか無性に腹が立った。



 「ほら由乃行くよ!」

 「え!?ど、どこにですか?」

 「どこって・・・、取りあえず家かな。自転車ないし」

 「じ、自転車?」

 「特別に由乃を乗っけてやるって、約束したでしょ」



 呆気にとられている私をよそに、楽しそうに笑っている。

 そうじゃなくて、約束をしたって言ってるって事はさまがあの子ということになる。

 面影があるといえばあるような、ないような。

 間違いじゃないのだろうか。

 私がそう思いをめぐらせているとさまはぽんぽんと私の頭を撫でる。

 それで私は、ああ間違いないなと思った。

 昔よくこうして撫でてもらっていたっけ。

 私はそれがとても心地よくて、そうしてもらえる事が大好きだった。



 「ささ、時間なくなっちゃうから早く行くよ。それじゃあ皆、また明日ね」



 さまはそう言い残すと私の腕をつかみ、薔薇の館を後にした。

 



 思い出のあの子との再開で嬉しい反面、名前を最後まで思い出せなかった罪悪感でさまの顔を見る事が出来なかった。

 さまはきっと気にも留めていないはず。

 けれど私は自分が許せなかった。

 足が重い。

 あの時の願いを叶えられるというのに。



 「由乃」



 さま歩みを止めて私を呼んだ。

 顔を合わせずらい。

 ゆっくりと顔を上げると、さまは苦笑いをしていた。



 「なーにしょぼくれてんのさ、由乃らしくない」

 「だって・・・」

 「まだ気にしてるの名前のこと」

 「気にするよ普通。あんなに一緒に居たのに」

 「忘れちゃったものはしょうがないじゃない。由乃ちっちゃかったし」

 「でも!」

 「意外とさ、約束守んないまま居なくなったから、忘れたかったのかもよ?」



 そう言ってさまは笑う。

 その笑顔を見て、私は叫んでしまった。



 「そんな訳ない!私はずっと思い出したかったんだから!!」



 いつも心の中に居て、会いたくて仕方がなかった。

 こんなにも、こんなにも、



 「由乃」



 大好きなのに・・・・・・



 「ごめん。由乃ごめん」



 何でこんなに優しいかな。

 さまは私を優しく抱きしめてくれる。

 余計に涙が溢れてきて、私はさまにしがみついた。







 「どう?気持ちいい?」

 「うん、とっても!景色がいつもと違って見える。風もね、気持ちいい」




 流れていく景色。

 心地よく肌を撫でる風。

 何よりもさまの特別な席に乗せてもらえる事が嬉しかった。



 「由乃もう少しつかまって」

 「うん」

 「でもよかったよ。由乃がこんなに喜んでくれて」

 「だってずっと待ってたもん」

 「そっか。ほんとはさ、すっごく不安だったんだ」



 背中越しに聞こえる声。

 その声が少し震えているのがわかった。



 「約束守んないで急にいなくなって、嫌われたんじゃないかって思ったんだ」

 「そんなことないよ」

 「そうだね。でも思い出したら止まらなくなるんだよ。
  由乃と久しぶりに会ったとき気づかなかったし、忘れちゃったんだなって思った」

 「だって!私が覚えていたさまと全然違ったんだもの。あの時は令ちゃん以上に男の子みたいだったし・・・」

 「そんなに変わったかな?」

 「全然違う。・・・すごく綺麗になった」



 私がそう言うと肩が揺れて、くっくという笑い声が聞こえてくる。

 恥ずかしくなって、少し悔しくなってきた。

 だから分かるようにわざと腕に力をいれる。



 「怒んないでよ由乃」

 「うー」

 「そんなこと言われるとは思ってもみなかったからさ。ありがとう、嬉しいよ」

 「ほんとに?」

 「ほんと。それよりさ、その“さま”ってやめない?前みたいにちゃんでいいよ」

 「でも上級生だし、そういう訳には」

 「えー、いいじゃん本人が言ってるんだし。それに令のことはちゃん付けのくせに」

 「そ、それは」

 「寂しいじゃんなんか。私だけ置いてけぼりみたいでさ」

 「・・・。ちゃん・・・」

 「うん。ありがとう」



 顔は見えない。

 けれど、すごく嬉しそうに笑っているんだと分かった。

 ちゃんの背中に額をくっつける。

 とても安心できて、温かい。



 「ちゃん・・・」




 私はちゃんに聞こえないようにそっと呟く。

 もちろん返事はない。

 だから私は後ろに流れて行く風に想いをのせる。

 今はまだ届かなくてもいい。

 いつか自分でちゃんと言いたいから。



 「・・・・・・大好きだよ」





 

 



 ちゃんは家まで送ってくれた。

 やっぱりというかなんというか、令ちゃんがお出迎えをしてくれる。

 はぁっと私が溜息を付くとちゃんは、「なんだ立場が逆転してるんだ」なんて可笑しそうに笑っている。

 令ちゃんは分かっていないらしく、面食らったような顔をしていた。



 「それじゃあ明日からよろしくね」

 「うん。家の前で待ってるから」

 「遅刻しないでよ?」

 「なんだとー。由乃のくせに生意気だなぁ」



 ちゃんはそう言ってほっぺを抓ってくる。

 もちろん痛くはない。

 誰からともなく噴出して、思いっきり3人で笑った。




 「じゃあ帰るからさ」

 「ん、明日ね」

 「じゃあね」



 私と令ちゃんは手を振ってちゃんを見送る。

 ちゃんも手を振り替えし、背を向けて遠ざかって行く。

 少し進んだ所でこちらを振り向くと、ちゃんは大声で叫んだ。



 「そうそう、さっきの返事だけれど!私もおんなじ気持ちだから!!」



 満足したようにちゃんはにっと笑う。

 隣で令ちゃんは困惑したような顔で私とちゃんを交互に見ている。

 私は驚きと嬉しさと、恥ずかしさが入り混じったなんともいえない気持ちになる。

 まさかアレが聞かれていたとは思わなかった。

 少し前の時間まで戻りたい。

 なんてことは出来るはずもないけれど。

 せめてもの救いはに照らされていることと、令ちゃんが鈍いことだ。



 「ねえ由乃何のこと?」

 「・・・ないしょ」

 「えー!!ひ、酷い」

 「うるさい」



 ことの張本人の姿はもう見えなくなっている。

 明日きっと楽しそうに、にこにこしてやってくるんだろうな。

 にこにこと言うよりもにやにやの方があっているかもしれない。

 それを想像すると自分の頬も緩む。

 だって嬉しい。

 おんなじ気持ちだって言ってくれたのだから。

 明日が来るのがこんなにも待ち遠しい。

 気が付くと、いつの間にか風が吹いていた。




















二人乗り。私はこぐのも、乗るのもできない・・・