いつも考えていた。
どうやったらここから消えられるだろうかと。
どうしたら皆が私の存在を忘れてくれるだろうかと。
いつも楽しそうに私の周りで笑っている彼女たち。
でもそれは、私とは異なった空間での出来事なのだと、そう思っていた。
目を瞑れば、もしかしたら次の瞬間にはどこか知らない場所へいるかもしれない。
もしかしたら私という存在が、この世界からも、私に関わってきた人たちからも消えているかもしれない。
そういう思考に終止符を打てる時が来るかもしれない。
そんな淡い期待をしながら目を開ける。
でもそこには、いつも通りの世界があるだけだった。
いつもと変わらないいつもの景色。
同じときの繰り返し。
果たしてこの行為を繰り返して、何の意味があるのだろうかと、ふと考える。
どんなに頑張ってもいずれは死に朽ち果てると言うのに。
そしてまた考える。
苦しみながら生きていかなければならないこの世界から、苦しまず消えてなくなる方法を。
そんなものありもしないと分かっているのに、考えられずにはいられなかった。
死にたいのか?そうではない、消えたいのだ。
いや、逃げたいの間違いだろうか。
この世界から?違う。今の自分からだ。
この弱くて脆い自分を消してしまいたいのだ。
勇気も無く、ただ何かに怯え、意気地のない自分を。
「さん?」
隔絶されていた思考が呼び戻される。
反応が少し遅れたが私はその声に笑顔で答えた。
まさか私がこんな事を少しでも考えているなんて、誰も思ってもいないだろう。
それに、私には誰にも気づかれない自信があった。
「ん?何かしら蓉子さん?」
いつもと変わらぬ笑顔で、いつもと変わらぬ声で、いつもと変わらぬ心で。
私は蓉子さんに笑顔を向けながら首を傾げる仕草をした。
「具合が悪いんじゃないの?」
蓉子さんは心配そうな顔をしてそう言った。
「ううん、そんな事無いけど・・・。どうして?」
「なんとなくなのだけれど、いつもと様子が違ったから・・・」
「そう、かな?」
私は蓉子さんの言葉に内心驚いた。
だってそうだ。
私がこんな事を思うようになってから、一度たりともそんな事を言われた事が無かった。
仲の良い友達でさえ気づかなかったというのに。
なのに、なぜ初めて同じクラスになって、そんなにも間が経たないこの人が気づくのだろう。
この前まで全くの他人だったのに。
「なんでいつもと違うって思ったの?」
少し震えたような声が出ていた。
どうやら自分が意識している以上に動揺をしているらしい。
そんな自分に嘲笑を浮かべながら、私は蓉子さんに聞いた。
「だって・・・」
そこまで言って蓉子さんは言葉を濁す。
どうして悲しそうな表情をするのだろう。
「さんとても辛そうな顔をしているから」
そんなことないよ。
そう言おうとしたのに声が出なかった。
喉の奥の方が痙攣しているようになる。
胸の辺りが痛くなって、何かを吐き出しそうになった。
視界は何故か霞んで見えて、その向こう側に見える蓉子さんはとても驚いたような顔をしていた。
何かが頬を伝っていく。
否定の言葉の代わりに涙が溢れていた。
「ごめんなさい。私、余計な事を言ってしまったかしら」
蓉子さんは本当にすまなそうに言う。
話せそうに無い私は、首を横に振ることしか出来なかった。
謝らなければならないのは私の方なのに。
蓉子さんはただ心配してくれただけだ。
勝手に泣いて驚かせてしまった。
周りのクラスメイトも目を見張り、私と蓉子さんを交互に見ていた。
背中を優しく擦ってくれる手が、とても温かかった。
私はその蓉子さんの優しさに甘えて泣き続けてしまった。
「さっきはごめんね」
夕日が差し込む教室には、私と蓉子さんの2人しかいなかった。
私は普通に話せるぐらいまで、ようやく落ち着いた。
思いっきり泣いたおかげで、だいぶ気持ちがすっきりとしていた。
瞼はちょっと腫れて重いけれど。
「ううん。私の方こそごめんなさい」
「蓉子さんは全然悪くないよ。勝手に泣き始めたの私だし。いい迷惑だよね」
苦笑い気味に私がそういうと、蓉子さんはそんな事ないと大声を出す。
きょとんとした私を見ると、恥ずかしそうに蓉子さんは視線を逸らしてしまった。
「そっか・・・。ありがとう」
「そんなお礼なんて・・・」
とっても嬉しかったから。
私は満面の笑顔で蓉子さんを見る。
さっきとは違う、本当の笑顔で。
それに気づいてくれたのかは分からないけれど、蓉子さんも微笑み返してくれた。
「それにしてもすごいよね蓉子さんって」
「え?」
「だってさ、今まで誰も気づかなかったよ、私の様子が変だって」
「・・・・・・」
「?蓉子さん?」
蓉子さんは急に黙って俯いてしまう。
何かまずい事でも言ってしまっただろうか。
私は不安になりながら、恐る恐る下から蓉子さんの顔を覗いてみる。
そこには真っ赤になった蓉子さんの顔があった。
「え!?よ、蓉子さん?えっと、だ、大丈夫かな?あれ?なんか変な事言ったかな?」
私の隣にいる蓉子さんは相変わらず俯いていて、私はあわあわとしている事しかできなかった。
困ったなと頭を掻いていると、ぼそぼそと呟くような声が聞こえてくる。
聞き逃さないように、私は蓉子さんとの距離を詰める。
一瞬、蓉子さんは身を強張らせたが、逃げる様子は無かったので嫌なわけでは無いのだと判断した。
「・・・も・・み・・・た・から」
「ん?」
「い、いつも・・・見ていた、から」
絞り出すような声で蓉子さんは言った。
「いつも?」
「・・・ええ」
「そっか。なんか面白かったのかな私?」
そう言うと、やっと蓉子さんは顔をあげてくれた。
でも何故か困ったような表情をしている。
そんな困るような事言っただろうか。
「面白いから見ていたわけじゃないのだけれど・・・」
「違うの?」
その答えに蓉子さんは溜息をついた。
そしてこう一言。
「前途多難ね」
「何が?」
「なんでもないわ。気にしないで」
「いや、気になるんだけど」
いくらしつこく聞いても答えてはくれなかった。
なかなか頑固なのだとその時知った。
他愛の無いやり取りだけどとても楽しくて、今なら、蓉子さんになら少しだけ話せそうな気がした。
「蓉子さんにお願いがあるんだ」
「何かしら?」
「ん、ちょっと私の話を聞いて欲しいんだ」
さっきとは違う雰囲気を感じ取ったのか、蓉子さんは真面目な表情になる。
ただ聞き流してくれるだけでもいいのに、きっと彼女の性分なのだろう。
だから、少し笑ってしまった。
「私ってさ、意気地なしで弱くって、情けない奴なんだ」
「そんなこと無い!」
「ううん、あるんだよ。誰も気づかなかっただけ。私はこんな自分が嫌でたまらないんだ」
「さん・・・」
「だからね。だから・・・いつも消えてしまいたいと、そう思っていたんだ」
人に聞いてもらうだけでこんなにも楽になるとは思わなかった。
けれど、どんな反応をされるのか怖かった。
蓉子さんの顔をまともに見る勇気が無くて、視線を天井に向ける。
電気はついていない。
夕日に照らされて、所々がオレンジ色に染まっていた。
突然、ぎゅうっと抱きしめられる。
驚いて蓉子さんを見るが、顔は見えない。
でも、肩が震えていて、泣いているのだと分かった。
「蓉子さん泣かないで」
今度は私が優しく背中を撫でる。
なんでこんなにも彼女は優しいのだろう。
「ごめんね。言うべきじゃなかったかも」
「違う!話してもらえて嬉しかった」
「蓉子さん・・・」
「もっと、もっと話して。1人で抱え込まないで。私がいつでも聞くから」
「・・・・・・」
「だから、消えてしまいだなんて悲しい事言わないで」
「・・・うん、分かった。もう言わない」
私の中に溜まっていたどろどろとしたものが少しずつ流れ出ていくような感覚がする。
弱くて脆い自分を蓉子さんは受け止めてくれた。
すごく嬉しくて、止まった涙がまた溢れ出してくる。
今日は泣いてばかりだ。
消えてしまいたいと、私はもう言わないだろう。
でも、そう考えてしまうときはあると思う。
そんな時、また蓉子さんは気づくのだろう。
それに、消えてしまおうとしても蓉子さんが捕まえてくれるような気がする。
自分勝手だけれど、そんな気がするのだ。
「これから蓉子さんに甘えてってもいいかな?迷惑だと思うけど」
「うん、どんどん甘えて」
「ありがとう」
「こんなことするのあなただけだもの」
「え?」
「なんでもない」
「また?」
蓉子さんはふふふと楽しげに笑う。
私もつられて一緒に笑った。
ちょっとずつだけれど、蓉子さんと一緒なら変わっていけそうなきがした。
